中学一年の夏、中二病発症の前に腎臓病になりまして、医師から一年間の運動禁止を言い渡されました。体育の授業は体育座りで見学し、部活は卓球部から美術部へと転部。そこで出会った顧問の先生がなんだかとても気にかけてくれて、ある日「いわふち、これ読んどけ」と手渡されたのがこの本でした。
ページを開いてから読み終えて顔を上げるまでの一時間ほどの間に、地球の様子が一変したことを覚えています。慢性的な微熱と腹痛で、半分死んでいるような日々だった自分の中心に、とてつもないパワーが注入されたようで。立て続けに繰り返し読み、さらに写経方式で一冊を丸暗記したのでした。
その後は狂ったように絵を描き、美術書をこれまた狂ったように読み漁り、医者から止められていた運動も、夜中に家を抜け出して密かなジョギングを続けていたら病気は半年で全快となり、禁じられていた反動でむやみに動き回りたくなって越後の山を片っ端から制覇。イマジネーションを思い描き、山を歩きまわり、読を読むという今のぼくの原型となる金型は、多感な時期に遭遇した病によってできたんだなあと思うと、これはなかなかしゃれたシナリオではないですか、神様仏様、あるいはアマテラスよ。
どんなことにも理由がある。病も苦悩も、なんで俺だけこんな思いを・・・ということであっても、それは次の世界を輝かせるための摘花なのだ。