ホテイアオイ咲く
散歩道の小川にホテイアオイの花。浮草は漂い岸辺にたどり着いて群生する。やがて株が分かれて流れに身を任せる旅に出て、違う岸辺で家族を増やす。
福沢諭吉の掛軸を思い出すんですよね。将来というよくわからない不安の塊を前にした二十歳の秋、稲刈りが済んだ田園を貫く国道17号沿いに、ポツンと建っていたリサイクルショップで見つけたもので、なんかジーンときて手帳にメモりました。純粋だったんだなあと思います、それを繰り返し繰り返し写経して、今でもほぼそらんじられる一編の詩です。
『商人の道』
農民は連帯感で生きる
商人は孤独を生き甲斐にしなければならぬ
おしならべて競争者である
農民は安定を求める
商人は不安定こそ利潤の源泉として喜ばねばならぬ
農民は安全を欲する
商人は冒険を望まねばならぬ
絶えず危険な世界を求めてそこに飛び込まぬ商人は利子生活者であり隠居であるに過ぎなぬ
農民は土着を喜ぶ大地に根を深くおろそうとする
商人はどこからでも養分を吸い上げる浮草でなけれなばならぬ
その故郷は住む処すべてである 自分の墓場はこの全世界である
先祖伝来の土地などと言う商人は一刻も早く算盤を捨てて鍬を取るべきである
石橋をあたたいて歩いてはならぬ
人の作った道を用心しながら通るは女子供と老人の仕事である
我が歩む所そのものが道である
他人の道は自分の道ではないというのが商人の道である
いわふち青年は、振り返ればこの言葉に導かれて浮き草の道を進んできたような気が。おかげで波乱万丈にして劇的な半生でありまして、さて残る半生は反省に立つべきか。否、このまま行けよ、行けばわかるさ。
散歩途中の道すがら、立ち止まって、しゃがんで、ピントを合わせて思うこと。ああ・・・変わってないんだなあ、二十歳からの40年、グッときた言葉をメモして、グッときた景色を撮影し、グッときた人に向かって歩を進める。その結果が吉と出るか凶と出るかはまだ先の話として、まあ、単純にして好ましい習慣だったと思います。
てなわけで、今日もグッとくる庭を思い描きます。
つれづれなるままに庭のこと、横浜で暮らす日常を綴っています。→→→『横浜ガーデンデザイン!幸せな庭のレシピ』