創造は想像より出でる。自分の仕事が想像し創造することなんだということが、幸運だなあと思ったり、よくぞブレずにここまで来たものだと来し方の走馬灯に感慨を抱いたり。今朝の庭の雨音は、ショパンならぬベートーベンの響きなり。
想像→創造
庭づくりのコツは、シーンで思い描くこと。
デザインや物質は後付けで整ってゆくもの。
多くの人の憧れであるせっかくの庭スペースを活かせるか否か、その分岐点は想像力。想像力とは思い描く能力で、種類としては2つあります。ひとつは現在をどう変化させるのかという想像で、もうひとつは未来がどうなるのかという想像。現在を変化させる想像は日常に不可欠でありまして、料理や掃除や仕事全般においてその優劣が暮らしを形作ってゆく、言うならば好奇心や前向きな姿勢から発せられる「暮らしの知恵」。さて問題は「未来への想像」で、これまた2種類があって、ひとつは防衛本能に基づく危機回避のための想像力、つまり「危険予知」、もうひとつが幸福を創造するための想像力、「夢」なのです。
暮らしの知恵、危険予知、夢、と3つに分類できる想像力のうち、庭に必要なのは最後のひとつだけ。明日の庭、次に来る季節の庭、来年の庭、十年後の庭をどのように思い描くことができるかが勝負で、それがシーンとして、花いっぱいで、笑顔が溢れて、会話が弾んで、ゴージャスで美しい、そんな仮想庭を想像できれば、自動的に暮らしのベクトルはそこへ向き、知恵は湧くし、危険予知などという足かせというかタガは外れ、思考も行動も夢の中、つまり夢中で今日を楽しむ人となって、気がついたら思い描いていた庭風景の中で、さらなる夢にワクワクが止まらない、となります。
一度このシステムを体感したら、庭だけでなくあらゆることがポジティブに発展する生活になります。それをお客様方は「庭で人生が変わりました」と表現される。その過分なお言葉を頂戴するたびに、「夢」と定義される魔法の境地、思考のあり方の存在に、ありがたやありがたや、今日も夢中で庭を思い描かねばと気合が入るのです。
危険なのは「危険予知」で、多くの人がそれを危機回避を通り越して行動しないことの言い訳に使ってしまう。人生は永遠であるとお思いなのか、はたまた人生にそれほどの価値を置かず、人の夢なんて儚いものなんだよと諦観することで終える主義なのか、まあ、これ以上は止しときましょうか。
でもひとつだけ、諦めの境地に立てば雑草はストレスですが、未来志向の人にとって雑草は美しく、雑草取りは幸福なる庭仕事なのですよ。