健康と幸せの要因は感謝と笑顔と生きがいであると、賢者は繰り返し話しています。きっとその通りなんです。だったらそれを実践すればいいわけで、みんながそのように暮らせば賢者がわざわざそんなことを言う必要もないわけで、全員が賢者の暮らしを実現でき、その時には花のように、鳥のように、愛と平和の世界に暮らすサピエンスの群れとなる。
りんごの木を植える
今朝の花。
ただ花が咲いているだけのことながら、
秋に植えといてよかったなあと、何度そう思ったことか。
なんでいつまで経っても電車が止まり、狂人が暴れ、悲劇が繰り返されるのか。事件から天気雨予報まで、片っ端から危機を煽る情報によって、きっと賢者の言葉が胸に響くだけの余裕がなくなっているんでしょうね。
「余裕がないから庭どころじゃない」 という結論を何百回も聞いてきました。だったら来店する意味がないのに何で?と何百回も思い、いやいや自ら導き出したその結論に納得できていないから、切実に何か違う可能性を求めて来られているのだと何百回も。
お金に余裕があれば、時間に余裕があれば、これは最も安直に自分の夢を叩き潰す言葉であり、理想の暮らしへ至る道の、最初にして最大のハードルなのかもしれません。庭を整えるのにたいしたお金はかからない、どころか、ちゃんとした庭にしないと長年にわたって莫大な無駄遣いをしてしまうし、 忙しい人ほど本を読むのに似て、エネルギッシュに暮らす人の庭ほど花数が多いのですから。
棒線グラフがはっきりと下降し始めて、さてここからが巻き返しの時。あんなちっぽけな、細胞にも満たない、生物とも言えないようなバイキンに翻弄され失われた幸福な時間を取り戻しましょう。感謝と笑顔と生きがいを掲げて、クラクラするほど幸せな庭時間を楽しもうじゃないですか。え、そんな余裕はない?そうですか、そうですよね。コロナに関係なく余裕がないことを御旗と掲げる人は、一生追い立てられる人生。それはそれで昭和的というか、昔ながらの実直にして素敵な生き方かもしれません。
映画『感染列島』(2009年 主演 妻夫木聡・檀れい キャッチコピーは「神に裁かれるのは人間か?ウィルスか?」)に出てくる言葉。
たとえ明日世界が滅びるとしても、君は今日りんごの木を植える。
出自はマルティン・ルターの「たとえ明日世界の終わりが来ようとも、私は今日りんごの木を植える」。どうです?明日世界が終わるとして、あなたは何をするでしょう。世界が終わるとなるとなかなか・・・きっと右往左往してしまうかもしれませんけど、自分が終わると置き換えれば、やはり黙々と、嬉々として、りんごの木を植える(幸福な庭を思い描く)気がします。自分にとって、それがいちばん幸せなことですから。