設計に熱中し過ぎて頭がキーンと鳴って、こりゃいかんとコーヒーブレイクしていた時に、その方はやってきました。
ごめんくださいませ。ちょっとお話しさせていただいてよろしいでしょうか。
初対面にも関わらず、先方は意識的にとても親しげな雰囲気を出しつつ、わざと丁寧な口調でからかっていうるような感じです。これは時々あることで楽しい展開が予想されるため、ぼくもその調子に乗ることにしました。
どうぞどうぞ、あなたのお越しを何日もお待ちしておりました。
ははは、そんなはずないですよね。すみませんアポなしで来ちゃって。いつも外からこちらを覗いては声をかけづらくて通り過ぎていました。とても近寄り難いオーラでお仕事をなさっていたから。
アッチャー、いけませんなあそういう感じを出してしまうのは。ぼく、そんなに怖い顔をしてました?
いえいえごめんなさい、そうじゃなくって、 すごく集中されているからお邪魔かなって。
大いに反省して、今後はニヤニヤしながら定期的にレレレノレ〜と声を発しながら集中することにします。で、ご用件は?ああいんです、別に用事がなくても。さあどうぞどうぞお掛けください。
その女性はぼくより少し下で、身なりはぼくより少し上で、容姿はぼくより遥かに上を行っている、フランスかどこか、ヨーロッパの血が何%かは入っているのだろうと推察しました。
日本語がお上手ですね。
あなたは本当に変な人、じゃなかった、ええっと、ええっと、とても変わった性格をお持ちなのですね。
当意即妙、わざと来日間もない口調の演技に入るとはやはりただ者ではない。
よくハーフって思われるんですけど、私の知る限り混ざりっ気なしの日本人ですよ。親が北海道だから何代か前にロシアが入っているかもしれませんけど。
あ、失礼失礼。軽口を叩くのが数少ない趣味のひとつなものですから、どうぞお許しください。
本当におかしな方なんですね。予想以上です、ははは。
こういう会話は気分が上がる。少なくともイラついた様子で「もう雑草取りは嫌だから庭中をコンクリートにしたいんだけど、オタクは安くやってくれんの?」から始まる年季の入った男性とのやり取りに比べたら、まるで天使と会話をしているような気持ちになるのです。
天使は美しく整えられた指先でスピーディーにスマホをスクロールし、自宅の庭の様子を何枚か示してから話を続けました。
もう雑草取りは嫌だから、庭中をコンクリートにしたいんですけど。
ぎょぎょ!本気ですか?
一瞬、わざと大袈裟にたじろいだものの、天使は天使の表情のままです。
冗談ですよ。いわふちさんのブログにハマっちゃって1年くらい読んでます。だからちょっとからかってみただけ。
やれやれ。で、その庭をどうしたいのでしょう。何かイメージしていることはありますか、庭で朝食を召し上がるとか、ターシャ・テューダーみたいに情熱のイングリッシュガーデンを仕立てるとか。
要望はひとつだけ、いわふちさんとこみたいに庭で過ごしたい。夜風を浴びながら本を読みたいんですよ。自分であれこれやってみたけど、amazon でガーデンファニチャーと庭用のテーブルライトを買って、でも無理でした。何が足りないのかを考えるよりも専門家にお願いしたほうがいいと思って。雨降りでも、台風の夜でも庭にいらっしゃるでしょ。ああいうことがしたくて我慢できなくなっちゃって。
それはそれは。時々そういう珍しいタイプの方がお越しになるます。
珍しいですか?
ええ、数的には完全にマイノリティーです。マイノリティー・・・少数派・・・神に選ばれし者たちってところですかね。これは永遠の謎なんですけど、なぜ幸福の玉座に座る人の数は常に少ないのか。座席は個々人に遍く用意されているのに大多数の人はそれが見えていないか、微かにシルエットが確認できてもなぜか目を逸らして通り過ぎてしまう。その姿は「断固として私は幸せになんかならない、なってなるものですか。うかつにそんなところへ座ったら、ひっくり返るに決まっている」と、懸命に自分を非幸福に律しているように見えたりします。
それ、とてもわかります。わたしにもそんな時期がありましたし、でもそこに長居はしなかった。きっと欲張りなんでしょうね。いく先々に座り心地のいい椅子を置いておかないと気が済まないような。欲張りの方が得ですよねえ、って思うんですけど。
です。
なんで皆さん欲張らないんでしょう。欲しがらなければ手に入らないし、欲しがればわりと簡単に手に入るのに。
そう、簡単に手に入る。欲しがらないマジョリティーは、二度と失恋したくないからもう恋はしない、という古い戯曲の台詞を信条としているのでしょう。ある意味ロマンチストではありますけど、ぼくらは失恋の方にもロマンを感じて、さて次はどんな恋に落ちようかと、落ちたくて落ちたくて仕方がない衝動を抱えて生きている。でしょ。そういうところ、あるでしょ。
ありますねえ、困ったことに。
いやほんとに、何度か本気で困り果ててしまいました。人だけでなく道端の雑草にすら恋の落し穴がある。朝日を受けて露が光っていようものなら、カメラを取り出ししゃがんで、高ぶる呼吸を整えながらシャッターを押す。側から見たらかなり怪しい人物ですよね。そんなんですから庭は恋愛の宝庫ですし、ははは穴だらけ。庭だけじゃなく猫も犬も水槽のネオンテトラもイカした恋人たち。
あ、うちにも犬がいますよ、6歳のプードル。たしかに、恋人です。彼は庭が好きで、っていうか庭でトイレをするのが好きです。私は本にも恋をします。毎日一冊、だいたいは桜木町行きのバスで読んじゃいますよ。行き先が終点だから乗り越す心配なく集中できます。ジャンルは雑多、実用書から、およそ実用には役立たないハードボイルドまで。あ、この頃時々村上春樹の話が出ますね。私もだいたい読みました。ハルキストじゃないですけど。
そう、ハルキストって呼び方には抵抗がありますよね。ぼくも抵抗勢力です。
とてもわかります。
で、庭なんですけどね、なるほど、ということはイスとテーブルと照明器具はお持ちなんですね。
ええ。
屋根は?
ありません。そうそう屋根が欲しい。目隠しも。
だったらあとは植物ですね。ガーデニングはお好きですか?
好きってほどじゃないけど花は咲いていたらうれしいし、雑草は少ない方がいいし、野菜も育ててみたいなあって思うことがあります。
ご家族は?あ、差し支えなければですが。
差し支えません。子供たちはもう独立していて主人は今単身赴任で中東へ行っています。砂漠です。機関銃を持った人が警備しているようなところで、どこにも遊びに行けないってぼやいてました。だから横浜に残っているのは犬とYシャツと私。
中東に単身で・・・プラント建設ですね。
はい。
ということはあのみなとみらいで美しく波打っているビルの会社ですか。
はい、私はそこに通っています。今はリモートワークで月に1度くらいですけど。
amazon 、本中毒、中東の砂漠、犬とYシャツと私、桜木町行き、みなとみらい、リモートワーク、実用書から村上春樹まで、そしてロシア人の血。ふむふむ、ありがとうございます。もう庭はできました、頭の中にですが。これを実際の設計にするのに時間がかかりますけどお待ちいただけますか?
ええもちろん。急いでいないですよ、リモートは定着しそうだしそういう庭はとても役に立つ気がします。急がないけど楽しみだから急いでくださいね。
はい、かしこまりました。
というわけで、調子良く進んだ会話から正解が導き出されて設計依頼がまたひとつ。愉快な出会いだったなあ。片岡義雄の短編に出てきそうな美しい女性にアフォードされて、ほぼオートマチックに脳内で描かれる庭はどう転んでも天使の住処になる。いやあ楽しみ楽しみ。ハラショー!ほんと、素敵な女性でした。あ、これもお読みになるのか。まあいっか、お気になさらずにお待ちくださいませ。年に何度かある、天使が舞い降り歌ようなパーフェクトな時間だったので、この感じを書き留めておきたかったのです。