囲炉裏ばた
とんとん昔があったとさ。深々と雪が降る夜の囲炉裏ばたで、綿入れ羽織って小さく丸まったお婆さんが、孫たちに語って聞かせる昔話の出だしです。
越後はそろそろ雪景色。
横浜の紅葉はここからが盛りなり。
色づく葉っぱに足並み揃え、
今日も設計に高揚す。
師走が近づき、焦る気持ちを諌めつつ。
先日ラジオ番組に加藤登紀子さんがゲスト出演し、生で知床旅情を歌いました。あの事故から1ヶ月ほど封印していたその曲を、年末恒例の全国ツアー『ほろ酔いコンサート』で歌う決心をしたとのこと。まだ発見されていない人も多く、とてもじゃないけど歌うことができなかったのでしょう。
ぼくは数あるお登紀さんのヒットの中で、知床旅情は異色だなあと思っていました。当時、数年前に森繁久彌が歌い人々に馴染まれていた、のどかな民話のような流行歌をなぜ加藤登紀子がカヴァーしたのか疑問符がついていたのです。
全共闘の嵐の只中から燃える松明を掲げ街へ出て、世の中がどう変わろうともその炎を掲げ続けたジャンヌ・ダルク、加藤登紀子。そんな彼女に知床旅情が馴染まないような気がして、小さな引っ掛かりとなったまま数十年。しかしそれは、番組内でのトークで解消されました。お登紀さんは語ります。
公にはたぶん初めて話すことなんですけどね、知床旅情は旦那との思い出の曲なんですよ。出会ったその日に意気投合してお酒を飲んで、「じゃあそろそろ」と帰ろうとしたら、あの人が「もう少し一緒にいてほしいなあ」と引き止めて、知床旅情を歌ってくれました。だから私はずっと歌っているの。百万本のバラと知床旅情は特別なんです。
お登紀さんと、ご主人藤本敏夫さんの人生は、年配の方ならご存知ですよね。なんだかなあ、加藤登紀子というお方は、どこまでも熱くて、そして可愛らしいんですよねえ。ほんとに、我が女房に可愛らしさを足せば加藤登紀子になる。あ、贅沢は申しません。ぼくは藤本さんの足元にも及ばぬへなちょこですから。
百万回爪弾いたギターの音色と、囲炉裏ばたのとんとん昔を思わせる歌声。一節一節の詩が胸に来て、へなちょこ爺さんは泣けて泣けて。
今日は立冬。知床の岬に吹く風はつべたいこいとでしょう。悲しくて悲しくてただ海を見つめている人が、お登紀さんの囲炉裏に集ってくれるといいな。とにかくさ、温まらないと。
ジャンヌ・ダルクは火炙りにされ、歴史の宝となりました。日本のジャンヌ・ダルクは闘争の松明から火を移した囲炉裏ばたで、今日も歌っている、ぼくら世代の宝物です。