風の歌を聴け ググッと寄る
ハッと感じたら、グッと寄って、さらにグッと寄って、バシバシ撮りなさい。篠山紀信がミノルタのCMで発した言葉です。昭和時代のブラウン管からほんの一瞬流れたこのメッセージに刺激されて、カメラマンを目指した若者は多かった。ぼくもそのひとりであったような気がします。
絞りを開放にし、被写界深度の限界まで近寄り、
呼吸を整え、静かに指を下ろす。
フィルムカメラの頃からの不思議な癖というか、
36枚に1〜2枚の割合で、ドキドキする瞬間がやってくるのです。
無意識に、フィルム1本(当時400円ほど)を人生と捉えていたのかもしれません。
ドキドキできなかった人生なんてつまらない、と。
現像にもお金がかかるため、1枚もときめかなかったフィルムは
ポケットに入れ、帰りにそのまま捨てていました。
この感覚、フィルム代がかからないデジタルカメラ世代には、
ピンと来ないことかも。
「グッと寄って、さらにグッと寄って」が響きました。当時はカメラブームで、ニコンF2フォトミックを持つことがぼくの憧れ。各カメラメーカーは競って露出のオート機能、さらにズームレンズを発売し売りまくる中、ニコンは頑固一徹、マニュアル機の名品ニコンFを基軸に、F2、F2フォトミック、FM、FM2、AM、EM、F3と、威風堂々たる王道を切り拓いて行きます。後年この頑固さが災いしデジタル化に乗り遅れてしまうのですが、それはまた別の話。当時はニコンこそが国産カメラの最高峰であり、マニアたちはそのニコンイズムに倣いズームレンズも毛嫌いして、明るくボケ味のある単焦点レンズで自らが動き回る撮影スタイルを良しとしていたのでした。そんなタイミングで「ハッと感じたら、グッと寄って、さらにグッと寄って」と語る篠山紀信に、これぞプロのお言葉であると感動したわけです。
あの頃のカメラマンはタレント的に人気があり、テレビ・雑誌に出まくっていました。立木義浩、浅井慎平、荒木経惟、野村誠一、加納典明・・・そしてメメント・モリの藤原新也。作品と共に、彼らの言葉に手を引かれ、導かれた人は多かったはずです。すっかりデジタル化となった今、カメラマンたちは無口な裏方となってパソコンに向かっている。スマホによって一億総カメラマン化した今こそ、あの時代に炎を上げていたカメラマンたちの熱が、必要だと思んですけどねえ。まあ、スマホカメラマンであっても、「ハッと感じたら、グッと寄って、さらにグッと寄って」、さらにさらにグッと寄って見つめる気迫を持てば、一生の記憶に残る名作が撮れることでしょう。だってですね、iPhone のカメラ機能たるや、どう考えたって昭和の高級一眼レフなど遥かに超える、性能と使いやすさを持っているのですから。
感動的な作品が撮れていないとしたら、足らないのはハッと感じる感受性と、ググッと被写体に寄ってゆく気迫。何の世界でも道具は発達の一途で、それに対して人の心は衰退しているのではないかと思うことがしばしば。ことに庭の世界では。恥ずかしながらぼく自身がそうで、燃えるような恋とかね、ええっと、どうすればいいんだっけ、などととまどうペリカン状態です。いけませんなあ、対象が女房であれ、吉岡里帆であれ、設計中の庭であれ、野の花であれ、ボワっと恋心が燃え上がらないようでは幸福な庭など描けないのであ〜る。惚れっぽさが持ち味だったはずなのに、全くもって、誠に遺憾に存じます。明日は晴れそうですから、暗いうちにカメラ担いで里山に行き朝の森をひと巡り。ハッと感じたら、グッと寄って、さらにググッと寄って、バシバシ撮ってこようと思います。
きっとあなたにも、こんな瞬間がありましたよね。
大事なのは今もそうであること。
過去ではなく、現在、今日、恋心的な感覚を有して過ごすこと。
恋心を失った時から、ダイアモンドのようだった彼氏と彼女は、
クソジジイとオニババアにまで値が落ちてしまうのです。
老醜。
政治家、芸能人、それどころじゃなく身の回り、さらに自信を顧みて、
それは人生の敗北のように思えて。
ご同輩、恋ですよ、恋。
→ → → 帰れない二人 井上陽水