今宵は12番目の月
2023年、イブの早朝。庭に浮かぶ月は少しだけ満たない、ほぼ満月。ほぼ。
幸せ達人、後藤さんちのクリスマス風景を並べつつ、
今年も年末だけのクリスチャン。
つぎの夜から欠ける満月より、14番目の月が一番好き。
月カレンダーを検索したら、満月は27日で、十四夜は26日。クリスマスの翌晩。月夜見尊よ、なかなか粋な計らいではないか。
例年通りに孫へのプレゼントを悩む。彼女たちに一生の思い出になる品を、と。他の家族が豪華で楽しいゲームやら何やらを用意するであろうから、ジイジくんの打つ手はどうしたものか。
昨年も、一昨年も、考えに考えた挙句に『逆張り』で、コンビニのレジ横に並んでいたクリスマスブーツを購入した。これが昭和時代からの定番なのだ。これこそが幼い日に、自分が一番嬉しかったプレゼントなのだから。三角帽子、アイスケーキ、お菓子入りの長靴。何歳くらいの記憶なのか、とにかく大人たちがみんな笑顔で、子供たちを囲んで過ごすあの感じが、幼心に「シアワセってこういうことなんだ」という実感を生み出した気がしているのです。
人はいつ、思考の中に幸せの定義が出来上がるんだろう。さんざん苦労をして、その対比的に安泰を幸せとする人もいるが、どうやらそれでは遅いのかもしれない。もっと早くに、有り余り、溢れている幸せにどっぷり浸かる時期に、つまりそれは空気のようなものだから自覚などしないし、ただやたらに周囲の大人が幸福感に輝いている、そんな記憶を後年、最高に幸せだったんだと思い起こす。そういう幸せ体験が、彼女、彼らには絶対に必要なのである。それが一生を支えることになるのだと、すっかり大人になったヒデボーくんはそのように確信しているのです。
で、故に、今年も逆張りでクリスマスブーツ(できるだけ昭和っぽいやつ)。少し見栄えが地味だから、デパートの地下に寄って、可愛らしい花束を添えてプレゼントといたしましょう。女の子だし、花束は反射的に喜んでくれるし。
メリークリスマス。メリークリスマス、ミスター・ローレンス。そうだ、坂本龍一にはイブの夜の月をプレゼントしよう。ありがとう、坂本さん。あなたは最後の最後まで、14番目の月的に音と言葉を届け続けてくれました。高橋幸宏さんと一緒に細野さんの到着を待って、絶対に、あっちで再結成してくださいね。そして家族が集う家々の庭に、星空から、満ちてゆく月光のようなメッセージを送り続けてください。
それにしても、なんて立て続けに人が召されてゆくのでしょう。人類史としては当たり前な現象であるわけなんだけど、でも戦争で奪われる子供たちの命だけは、それを当たり前と片付けることなどできない。世界中の子供の枕元に、明日の朝、ワクワクの包みが置かれていますように。サンタさんたち、お父ちゃんも、お母ちゃんも、お爺ちゃんも、お婆ちゃんも、一致団結して、Love & Peace 。
さてと、そんな思いを胸に、プレゼントを買いに出かける時間まで、設計設計また設計。逆張りはぼくの設計でも常套手段。人生の裏に道あり花の山。裏っ側に物事の本質がひそんでいるのはままあることだから。庭においてありきたりな設計は、大概の場合、上っ面に流れてしまうものなのであります。そんなものは庭っぽい空き地に過ぎない。
庭っぽい空き地、家族っぽい他人、平和っぽい地獄。逆張りすれば空き地っぽい幸せな庭、他人っぽい幸せな家族、地獄っぽい幸せな平和となります。「幸せな」を無理に付け加えたわけではなく、前者には馴染まないそれを、後者にはすんなり付けることができるから。これが裏表のマジックなり。
メリークリスマス。今宵は12番目の月。裏道を照らす、冴え渡る月明かり。