忙中メリクリ有り
昨夜のクリスマスパーティーをアップすべく写真整理をしていたら、以前に庭をやらせていただいたお客様がご来店。
「いやあご無沙汰しています」と、ぼくは不意打ち的な再会にテンションマックス。後でチェックしたら、そのお庭はブログには載っていないため、それ以前、18年以上前に施工したお庭です。
「元気でやってますか?」
「はい、なんとか元気を維持しながらですけどしつこくやってます」
「あなたに作ってもらった庭がとても楽しくて、しかも年月が経つほど楽しさが増してゆくんですよ。いつかお礼を言いに行かなくちゃと思いつつ、ええっと、あれは何年前でしたっけ。こちらはすっかり歳取っちゃって、どっからどう見ても、お爺さんになりました。イワフチさんは全然お変わりないようですね。奥様もお元気なんでしょ?」
「ええっとですねえ、女房は元気すぎて困っています。そろそろ弱ってくれないと身がもたないですよ。元気過ぎるお婆さんは手に負えないです」これは昔のお客様との、すっかり定番となっているやり取りで、先日も後藤さんと同じ会話をしました。「かおりさんはお元気?」「はい、相変わらずで困っています」「それはよかった」と。
このように、年末年始とゴールデンウィークには決まって数組のお客様が来られて、庭がいかに楽しく、暮らしに有効な機能を果たしているかを報告してくれます。もちろんそれはこの上なくありがたく、うれし出来事な訳ですが、同時に、その庭の価値が高かったのはぼくの力ではなくて、その方々の暮らしが豊かであったことによる現象、成果なのだと感じるのです。
豊かに暮らすこと。それが庭に豊かさを生み出す。
ではその方々は、いかにしてそのような豊かさを創造しながら暮らして来られたのか。ひとつ、とても明確な要因があります。それは平坦な道のりではなかった、ということです。それぞれにいくつかの困難な課題をクリアしてきた、というのが今ある豊かさ、幸福な時間の下地となっている。親族の生老病死はもとより、家庭でも仕事でも、思いがけない展開、予想不可能なアクシデントは誰にでも起こることで、解決不可能と思われる問題であっても、数年の経過で気がついたら解消されていた、というような経験を、総じて皆様がお持ちなんですよね。
これは驚くべきことです。ぼくの場合は庭を通して、お客様が経験したそういう事柄を知ることが日常ですから、普通のことと捉えています。しかし、多分、多くの人にとっては「自分には無縁の世界」であるという認識なのではないでしょうか。特にお若い方々は、人生において、行く手に次々とハードルが置かれるシステムなんだということを、実感を伴って自覚できるわけもなく、何度か無体なハードル出現に足を取られて転倒した挙句に、その痛みから実感が得られるのでしょう。
このお話は、膨大な事例と、さらに膨大な背景と展開と結果(途中経過)があるため、後日細かく調理し盛り付けてからお出しします。今日はクリスマスパーティーのことを書き、すぐさま頭を切り替えて設計に移らねばなりません。
とはいうものの、脱線したままかなり進んでしまったので、このまま進行しながら娘夫婦と孫たちへのメッセージを綴り終わりたいと思います。
新居に移り、まだ庭を手付かずのままにしてくれていることに感謝。いつだったか、ぼくが、それこそ思いもよらない窮地に追い込まれて凹んでいた時に、「そのうち頑張って家を建てるから、お庭はお父さんの好きに作ってね」と、希望の世界へと導いてくれた娘よ、やっと君たちに恩返しができる。時間はかかるが、最高の庭を仕立てるから待っていてくれ。そこを家族の場所として、この調子で美空とピッちゃんを育て上げてほしい。先々何が起ころうとも乗り越えられる、そんな庭を提供するからね。
年々驚くほどの成長の様を見せてくれるお嬢ふたりへ。
いつもジイジくんと遊んでくれてありがとう。来年はイルミネーションの庭でクリスマスパーティーだ。