母から贈られたバラード
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母から贈られたバラード
母から贈られたバラード
12月20日、大掃除もせぬままに仕事仕事で駆け続ける日々。「年末年始の休日を仕事に充てれば何とかなる」という気持ちの逃げ道は、すでに目一杯に積み上がったスケジュールで塞がれてしまいました。
ええい、ままよ! とにかく今日1日を、ペースを落とさず駆け抜けるのみ。
幸いにして天気予報は晴天続きで、対して故郷の越後は猛吹雪。雪国育ちなもので、この冬型気圧配置をゴージャスに捉えて、太平洋側にいることの幸運に感謝しながらいくらでも今日へのファイトが湧いてくる。越後人は働き者と言われるがそれは関東人の評価であって、越後にいたら除雪作業に文句を言う者などおらず、夜明け前からスノーダンプを押してひと汗かくのが普通のこと。それに比べたら雪を踏まずに過ごせる晴天なんだから、大概の仕事は悦楽なのです。
当時はなんとも思わずやっていた吹雪の中での現場作業。もう一度あれができるか?多分できる。傍目には信じられないほどの過酷な寒さも、やってる当人はそんなことは感じず、逆に、降る雪に包まれながらの型枠組みやコンクリ打ちや測量は、自分にうっとりするほどカッコいい情熱の作業なのですよ。
陽だまりの横浜であの感じを思い起こしてみれば、仕事とは最高の娯楽なり。だから越後出身者は暇さえあれば働いている。ワーカホリック?違います。人生ホリック。
行ってこい、どこへでも行ってきなさい。 母ちゃん、お前のごたあ息子がおらんごとなっても、何もさびしゅうなか。 が、言うとくがなあ、なまじ腰をおろして休もうなんて思ったらつまらんど。 死ぬ気で働いてみろ、テツヤ。 人間働いて、働いて、働き抜いて、もう遊びたいとか、休みたいとか思うたら、その時は、死ね。 それが人間ぞ。それが男ぞ。 おまえも故郷をすてて都へ出て行く限りは、帰ってくるときは輝く日本の星となって帰ってこい。 行ってこい。行ってこい。
今となっては随分と乱暴な昭和の仕事観なれど、いいんだよなあ〜。良いも悪いもそういう時代に育ったんだから、そのように、昭和の教えに従って残り時間を突っ走ります。時々帰省するたびに、笠智衆似のお爺さんが言ってたなあ「秀敏、仕事はあるか?」って。おかげで忙しいよと答えると、そうか、それならいい、と。
さ、設計設計また設計。