「良い子は真似をしてはいけないよ」と、黄泉の国からアンクルジョンは言っているような気がする。この詩を、多くの人が恋愛・失恋レベルで捉えるであろうから。
ぜんぜん違うのだと、ぼくは思っている。何せ息子を育てるために、音楽活動を休止してハウスハズバンドを選択した人なのだから。
伝説となっているあの五年間が、自由を煽動し、先導し続けたジョンにとっての最初で最後の、本当に自由な時間だったのだと思う。まだ十代だったぼくに、それはとてつもなく偉大なことに思えた。だって、そうでしょ、デモとか前衛芸術とか革命めいたことと真逆の、「家庭」に自由を見出したのだから。
だからぼくも、息子が生まれるや会社を辞めジョンを真似た。それ以来真似しっぱなしだ。いやいやぼくのことなど横に置いて、注目すべきはこの曲の原型が録音されたのが1977年、ということはショーンが2歳だから、主夫活動の合い間だというところにある。
想像するに、そうとう育児に疲れ、ヨーコともギクシャクして、かなり険悪になっていたのだろう。ヨーコはご存知の通りの女性だし。でもまあ、ジョンとヨーコであろうと、イザナギとイザナミであろうと、ヒデトシとカオリにしても、子育て中の夫婦とはそういうものなのだろうと思う。そんなふうに思って聴くと、すんなりと全部の行に納得が行く。あえて付け加えればそんなゴタゴタの痛みも込みでの大きな自由だったのだろう。そうだよね、ジョン。だよね。