富士山の起源となる最初の噴火は数十万年前にさかのぼるそうな。そしてほぼ今の美しきフォルムになったのは1万年前とのこと。
1万年前とは石器時代から縄文時代へ移る頃で、長かった氷河期が終わり、反動のようにやってきた急速な温暖化でマンモスなどの大型動物が絶滅し、木の実や小動物が人類の主食になりました。人々は庭(住居の外)に集い、火を囲んでクルミを砕き、ウサギやタヌキやキジを捕まえてはさばいて、土器で煮炊きしていたことでしょう。
縄文人とぼくら現代人の生活様式は大きく違いますが、マインドはさほど変わっていないと思われます。自然を畏怖し、家族で身を寄せ合い、愛し合い、笑い合い、悲しみを分かち合いながら幸福な人生を願い目指して生きていた。子育てに悩み、病に苦しみ、亭主の浮気ぐせを嘆き、嫁姑の揉め事も今と変わらずあったはずで、そんな日常の背景には、はるかに白い煙を上げる富士の山。現在ではその裾野でゴルフやキャンプを楽しむリゾート地のランドマーク的に捉えられているその姿は、長らく人々の暮らしを見守り何かしらの啓示を与える、人智を超える神秘の存在だったことは、こうしてはるかに目をやれば実感を伴って疑う余地なし。
近所に古墳があるので、港南台にも多くの縄文人が住んでいたようです。その頃と地形はさほど変わっていないと思われますから、自分が立っているこの同じ場所から、朝に夕に富士山を見つめていた人がいたんだろうなあ、何を思っていたのかなあな、その人は幸せな人生をつかめたのかなあ、などとあれこれ想像しては、さてさてわが人生はいかがであるかと問うてみることもしばしば。