悠久の花
コブシが咲きましたね。いや〜春だ春だ。
ロングロングタイムアゴー、かつてこの地上はティラノサウルスを頂点とする爬虫類の楽園でした。その風景に生えていた、シダやイチョウやメタセコイアなどの裸子植物は草食恐竜の食糧で、恐竜が繁栄するにつれて食い荒らされ、とうとう絶滅の危機に。その危機は食べる方にも及ぶわけで、恐竜たちは飢えに喘ぎ、植物を求めて北へ北へと移動します。折り悪く泣きっ面に蜂でして、氷河期が来て、巨大隕石が落ちて、ついに大多数の恐竜は地上から消えてしまいました。一方植物たちはしぶとかった。昆虫を相棒にして受粉する被子植物へと進化し、現在まで多様な花を咲かしながら代を繋いでいるのです。
さて、マグノリア(コブシ 、モクレンなどの総称)は1億5千万年前に起こったその攻防によって生まれた、生存のための姿を今に伝える悠久の花。
そもそも最初の植物は水中にいて、水を媒介として受粉しました。その性質は岸辺から陸地へと這い上がってからも維持されていて、それがシダ類です。次に水ではなく風を使った受粉(風媒)を身につけたのが、マツ、スギ、ソテツ、イチョウなどの裸子植物。そこに恐竜が出現して食い荒らし、共倒れ寸前になった時点で登場したのがマグノリア。夫婦仲良く、家庭を大事に、美しく香り豊かな花を咲かせて虫をおびき寄せ、花粉や蜜と交換で受粉を役を果たしてもらうという、革命的な性質を獲得します。これが現在の主流となっている被子植物であり、虫媒花なわけです。
森の木々には花が咲き、地面はこれまた花いっぱいの草花が覆っている風景に馴染んで、かつて恐竜に怯えて暮らしていた小動物、哺乳類が栄えてゆき、木に登ったネズミがネズミザルになって、時々木から降りて猿になり、いろいろあって森を追い出されて草原へと向かった10数種類の猿たちは、旅をしながらヒトへと進化してゆく道半ばで淘汰され、最後に生き残ったのが我々ホモ・サピエンスです。
ホモ・サピエンスとは「賢い人」の意。それを自称するという、思い上がりも甚だしい人類は、これまでにも何度か、そして今現在もまた、生物の起源である35億年前に海中を漂っていたシアノバクテリアよりも下等な、細胞にも満たないウイルスによって脅かされているわけで、造物主は何とも皮肉が効いている。しかもそのやり方はなかなか残酷でして、単純に命を奪う前に精神的な苦痛を伴わせ、夫婦仲をギクシャクさせ、子育てや介護を疎外するという、いかにもイイ気になって脳を肥大化させた人類にお灸を据えるような、ふるいにかけて扱いやすい個体だけを残そうというような手法を使ってくる。
まあ造物主のやることに文句を言ってもせんないわけで、ではそのフルイを掻い潜って生存するには何が必要か。マスク手洗い密を避けるなどのテクニックはあるにしろ、根本的には、賢い人を自称する思い上がりがいけないのでしょう。人は賢くいない。リーダーたちの号令や、民の行動や、専門家の意見でさえ、どっちを向いても賢くなんてないんですよね、あなかしこ、あなかしこ。
かつての恐竜のように自然を食い荒らしてきた人類は、生態系から除外されて当たり前。ここはひとつ愚かさを自覚して、不都合な真実から目を背けずに、夫婦仲良く、家庭を大事に、庭に被子植物をいっぱい咲かせて、家族で身を寄せ合って、生物的な普通の気持ちである愛情をキープしつつ、嵐が過ぎるのをじっと待ちましょう。
コブシ は1億年前からこの姿。ルーシー(アファール猿人)の登場は400万年前のこと。猿人が道具を使い出したのは200万年前。直立し、言葉を話し出したのが100万年前。25万年前に現れたネアンデルタール人は3万年前に滅び、さて、20万年(アフリカから世界へ分布を始めてから6万年)の歴史を持つホモ・サピエンスの運命やいかに。