ロハスの終焉
ひと雨ごとに近づく春の足音を感じ悦に入っていたのに気づけば梅の花吹雪、ミモザも咲いてすっかり春のど真ん中。こうなると例年通りに庭の相談が激増するのです。
雑草が・・・芝生が・・・狭いから・・・ウッドデッキが傷んできたので・・・使っていない庭をつぶして駐車場にしたいんですけど・・・と、これまで繰り返されてきた問い合わせにすっかりクリシェとなった定型文で回答する、つもりでいたのが、おやおや今年は少し違います。これはもしかしたらスマホ効果なのか、みなさん事前にけっこう庭のことを勉強されていて、相談の中身が積極的に庭を楽しむ方向に。例えば「カーテンを開けて暮らしたいんですけど、かといってぐるっと塀で囲むのもどうかと思って」という、以前ならこちらから提案しない限り出てこないようなプラス領域でのお悩みが持ち込またりして、ぼくとしては我が意を得たりを通り越し、ああ気づけばぼくが浦島太郎になったような。
これはですね、ロハスについてもそうでして、お若い相談者はロハスなどという言葉をご存知ない。それもそのはずで、有機野菜と賢く穏やかな暮らしの中で成長したマーク・レスターとトレーシー・ハイドは思考も暮らしもすっかりロハスなので、それは空気みたいなことなので、「ロハス( Lifestyles of Health and Sustainability /健康的で持続可能性がある暮らし方)」は、「呼吸をしながら暮らしましょう」みたいな言わずもがなも甚だしいことなので、言葉が意味を失っているのでした。
う〜んマンダム、う〜んいい傾向。そうとなれば浦島太郎は庭の桃太郎に役替えをし鬼退治、金太郎になって熊にまたがりお馬の稽古、ついにはウルトラマンタロウに変身して庭のお悩みを片っぱしから解決して進ぜましょう。
早くそんな時代がやってこないかなあと30年前から思っていたら、どうやらイーハトーブの足音は確実に近づきつつあるような。春と同じく気づけばその只中にいるといいなあ。時代の変化とはそういうもので、そ、そ、ソクラテスもプラトンも、みーんな悩んで幸せを実現してゆくんですよねえ。そしてある日突然ふたりだまった目の前に100匹目の猿が現れて、庭を楽しむ暮らしはごくごく当たり前な、意識せずとも、悩まずとも手に入る空気や水のような事柄になり、庭革命は意味を失いぼくは失職し、おさびし山に移住してスナフキン的タオイストとなる。う〜んフリーダム、う〜んなかなかいいではないか。
この妄想が実現するまでどのくらいかかるのか、できれば息があるうちにと願いつつ、今のところは積み上がった設計をひとつづつ、画狂老人葛飾北斎に倣い庭狂老人となるべく、熱く、丹念に、劇的に仕上げてまいります。
ロハスの終焉は
、長く明けなかった庭に差し込む春の陽射しなり。
平成の次に来る新時代に、
健全に成長した若者たちが花咲きますように。
豊かさとは平和で穏やかに微笑み、
家族で庭を楽しむ暮らしなのだと、
前のめりで血眼が癖になってしまった人老たちに
「ほら、こうすればいいんだよ」と、
幸福な営みを見せてくれますように。