『ダンス・ダンス・ダンス』より
「踊るんだよ」
「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんたはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから足を停めちゃいけない。どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。怖がることは何もない。あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう」
「でも踊るしかないんだよ」
「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」
オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。
猛烈な暑さに喘いだ姿勢のまんまで秋にワープ。
え、半袖じゃ変ですか?ですよね。
でも何だか、もうしばらく、強烈だった夏を名残っていたいような。
鮮烈な、い〜い夏だったなあ〜。
故あって、ここ数日村上春樹の初期4連作を再読。僕と鼠と羊男をめぐる冒険譚の末に、主人公の『僕』は失いかけていた自己を回復させた。そのきっかけとなった羊男の言葉がこれである。
故あって、泣けた。とても気持ちの良い出来事だった。村上春樹で泣けるなんて、誰もそんな予想を立てるわけもなく、自分でも驚きながら泣いた。もしかしたらぼくも自己を失いかけていて、この羊男からの啓示により、それを免れたのかもしれない。生き延びたような、とても清々しい出来事だったのだ。だから書き留めておこうと思った次第。
故あって・・・人生は故だらけだ。でも踊るしかないんだよ。それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り。
オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。・・・ソウスレバオイラモアンタノコトヲ、テツダッテアゲラレルカモシレナイ。ツマリ、モシヨカッタラナンダケド、シャル・ウィ・ダンス?マダオンガクハナリヒビイテイルノダカラ。
これは村上春樹だったか、片岡義男だったか判然としないまま。
音楽を奏でるように言葉を綴れたらいいよね。
ぼくは30年前からずっと、「図面から風が吹くような設計ができたらいいなあ」と思っていたのです。何事も修練によって成し遂げられる。今日の設計図からは、金木犀が香っている。その秋風にアフォードされて、アフォーダンス・ダンス・ダンス。設計設計また設計。