ティータイム『一足早く梅雨明けをツー・ユー』
昨日の午前中は庭の設計に熱中症、昼にサプライズで孫たちがご来店、いつも通りにペット売り場を一巡りして、犬と猫とウサギと亀と爬虫類と鳥類と昆虫と魚類に挨拶および世間話をし、美空からの「ジイジくんとお寿司行きたい」という嬉しいお誘いに乗ってスシローへ。
食べた食べた、あ、ぼくがですけど。孫たちは寿司はちょこっとで、フライドポテトとバニラアイスで「ごちそうさまでした」。午後はいざ鎌倉、常連さんにお買い求めいただいたファニチャーを組み立てに。工具は万全、15分もあれば出来上がるだろうと思って梱包を開けたら、これがやたらめったら複雑で、ボルトだけでも6種類あって1時間はかかりそう。さすがは常連さん、よく手入れされた気持ちのいい芝生にドッカと座って組み立て作業開始。すごかったでしょ、昨日の陽射し。やっと晴れたかと思ったらいきなり灼熱の夏日和で、セミは鳴いているし、汗は吹き出すし、お客様から頂戴したペットボトルのお茶を飲み飲み作業が完了したのは3時間後でした。帰り道でコンビニに寄って食べたガリガリ君の美味かったこと。太陽がいくらか西に傾き日陰になった谷戸のコンビニ駐車場に、六国見山から涼風が入ってくる。いい感じいい感じ。なんか、とてつもなくでっかい感じの1日だったなあと、幸せだなあ〜と思う瞬間でした。帰宅してからは脱水気味だったんでしょうね、やたらに牛乳が飲みたくて、ビールよりも先にアイスカフェオレと甘酒オーレをがぶ飲みして、満足度があまりに高く習慣のビールは無しで、庭で軽く食べてから読みかけの『菊地成孔の粋な夜電波 シーズン13〜16』を開いたものの、「ばっかじゃねえのこの人。やっぱ天才はどっかおかしいし、可笑しいものなのであ〜る」と笑いながら2ページで早々の寝落ち。真っ白くなったジョーのポーズだったもので、項垂れた首の痛みで目が覚めたのは2時間後。慌てて犬たちの食事を用意して、その後はゴミ出しついでに30分ほどの夜の散歩を完了。さて寝るか。ところがここで素晴らしかった今日を再度反芻したくなって再び庭へ。なぜ幸せだったのか。孫たちのサプライズか?スシローか?大汗かいた鎌倉での作業で心身が活性化したのか?今度はビールで。すぐに寝てしまいそうだから本は開かない。心は江ノ島方向からの涼風に開き切っている。そうか、わかったぞ。不幸にはいちいち満遍なく理由がつきまとうが、幸せの最中にいる者に理由などないのだ。っていうか、必要ないのだと、これでいいのだと、必要かどうかに関係なく、感謝は湧き上がってくる。ありがとう、美空ちゃん、結陽ちゃん、ふたりのお母さん、そして何より、孫たちの初々しい髪の毛を愛おしく汗で濡らしてくれた、しばらく続いた曇天で停滞していたぼくの水分と毒素をデトックスしてくれた真夏の気候に、心より感謝感謝でシズルなグラスを空に突き出した。さて悦楽の庭時間を彩る音楽は、迷うことなくこれ、コルトレーンの異色作にして名盤バラードの1曲目 Say It 。
脳内でアドレナリンが沸騰する夏の夜にお似合いのニュアンスがたまりません。コルトレーンによる潮焼けしたようなテナーと並走する涼風はマッコイ・タイナーのピアノ。遠く近く聞こえるさざ波ドラムはエルヴィン・ジョーンズ。1962年にどんな経緯で、どのような理由でこの録音がなされたのか、当時のコルトレーンは激しさの人であり、時代はモードジャズへの転換期にて、彼が唐突にこのようなバラードを打ち出すなんて世界で誰一人思っていなかったに違いない。もしかしたら本人も。この疑問符の故だろうか、批評家はこぞって批判した、「こんなのジャズビギナーに向けた小銭稼ぎである」と。違う。聴けば聴くほど絶対に違うのだ。村上春樹およびハルキストを批判するうるさ方と同じ構造で、表現者御当人は批判者とは異次元の、評論などという雑味成分が存在できないピュアな空気の時空にいるのです。世の中の理解など必要としない高みにいる者の音楽なり文学なり、絵画や映画や演劇や、だいたい20年もするとそれらだけが輝き続けて名作として生き残る。願わくば、音楽ではなく、文学でもなく、政治にそういう人物が出現しないものかと思ったりもしますが、せっかくの幸福な時間なので、まあそれは別の話として夜風に飛ばしてしまいましょう。とにかくこれで、気象庁とは関係なく宣言しますけど、梅雨は明けました。遅く入って早く抜ける、スローイン、クイックアウトなアマテラスの計らいに感謝感謝。あとはただ夏を楽しめばいい。夏のお楽しみに理由はいらない。アドレナリンが沸騰し、ドーパミンが目鼻から滲み出すほどの夏を。昨年の分を取り戻すなんてえケチくせえことに留まることなく、飲んで歌って踊って恋して、感動感動また感動、それが夏ですから。空が晴れれば気が晴れる。この際は徹底的に晴れ晴れと、大いに笑って大いに泣いて、大いに生きようではありませんか。ここまでたどり着くことができずに苦しみの中で命を終えた人たちに、お詫びやら、悔やみやら、感謝やら、誓いやら、複雑系を一絡げにして手を合わせ、生きている者が精一杯に今日を生きることでしか帳尻が合わない娑婆のシステムであることを肝に銘じてシャバダバシャバダバと、はっぱふみふみ、オリンピックもオオタニサ〜ンも大いに楽しませていただこうじゃあ〜りませんか。何、無観客?確か首相はムキャンキャクって言ってたからやけのやんぱちで早口言葉でも始めたのかと思っていました。ロウニャクナンニョヨリニジュウニツウチュウニジュッツウガジアイヲコメテムカンキャクジアイヲキボウチュウ(老若男女より22通中20通が慈愛を込めて無観客試合を希望中)とか。いいじゃないですか涼しい部屋でテレビ観戦の方が。ビールと枝豆とポテチで、灼熱の太陽の下で命懸けのプレーを繰り広げるアスリートに大いなる感動を頂戴いたしましょう。オリンピックの興奮が消える頃にはワクチンは行き渡るし、選挙もあるし、民衆が、皆の衆が、パンとサーカス、マスク2枚と10万円とオリンピック、弱気を挫き強き者が庇いあったこの騒動に沙汰を下す番ですよ。マジで、気づけば命の重みが失われて、随分と平気で軽く扱われるようになりましたよね。女将さ〜ん、時間ですよ〜。御隠居さ〜ん、出番ですよ〜。女将さんが言ってるじゃないですか、そこに愛はあるんかって。そこに愛はあるんか。愛は、愛は、愛ちゃんは離婚しちゃったけど愛は、愛はあるんか私には、あなたには。それが問われるコロナトンネルからの出口なのであります。ア〜イアイ、ア〜イアイ、果たしてお猿さんに愛ありや。愛なきアリアはうっせえうっせえだけですから、ここはひとつマリア・カラスに匹敵する歌姫に閉会式で愛を歌い上げて欲しいものですなあ。え、それは誰かって、そんなのあいみょんに決まってんじゃないですか。演奏は上原ひろみで。あ、すいません、今日も暑くて頭クラクラで、うまいことまとまりませんでした。まあまあ、とにかく夏来りなば灼熱を謳歌いたしましょう。