海を渡る蝶
ガーデンリフォームの打ち合わせに伺ったお客様の庭でのこと、何やら遠くでチラチラ動いているので近づいて行くと、それはそれは美しい蝶が夢中で蜜を吸っていました。記憶の扉とは摩訶不思議、長らく開けていなかったために錆びつき、存在も忘れていたひとつがいきなり飛び出すように開いたのであります。こいつとは40年ぶりの再会なのでした。
場所は16から20歳頃まで、冬を除いて毎週のように通い詰めていた越後駒ヶ岳(標高2007m)の山頂まであと20分にある百草の池。森林限界ギリギリに位置して、ここから上は高木が生えておらず灌木と岩場になるため、昆虫や鳥や獣たちの憩いの場になっています。人も最後の急坂に挑む前の一休みで、登山者は必ずここで休憩してから頂きの山小屋へと向かうのです。
その日も単独行で、当時は体力満々ですから池をパスして一気に山頂を目指してもよかったのですが、何か縁起物みたいなルーティンでひと休みひと休み。するとやたらに顔にまとわりついてくるのがこの蝶でした。数匹が頭や腕や広げた手のひらにまで止まってひと休みひと休み。何か仙人になったような気分でカメラに収め、帰宅してから図鑑で調べたらアサギマダラ、海を渡る蝶とのこと。
アサギマダラは高原を好み、初夏の気候を求めて移動する。寿命は羽化してから4〜5ヶ月で、その間に2000キロを飛ぶ。本州では夏になると平地から標高1500〜2000へ移動し、羽先にチラッと秋風を察知するや速攻で南を目指す。列島の背骨に当たる山岳を南へ、南へ。やがて四国、九州、沖縄、ついに台湾にまで到達するという。南の島の洞窟などで冬を越し、そこで羽化した新世代が今度は涼を求めて北上開始、関東の森へたどり着いて交尾、産卵、羽化、たっぷりの食事、そして山岳へ。
こいつ、驚くほど警戒心がないのです。いくらレンズを近づけても平気だし、食事中なら簡単に指で捕まえられます。細かいことなど考えるいとまもなく雄大に移動する人生だと、そういう大らかな性格になるのでしょう。それも込みで、昆虫マニアに大人気だそうです。ステンドグラスみたいな羽模様も実に美しい。アサギマダラのアサギとが浅葱色、浅いネギの色、緑がかった薄い藍色。このように標高の低い住宅地で見かけるのは今だけで、梅雨明けには山梨へ向かい、河口湖あたりで遊んでから長野を目指すのでしょう。すごいですよねえ、こんなちっこい図体で、とても飛行に向いているとは思えない羽と柄を有して、生涯をかけて2000キロを飛ぶんだから。
こちとら新潟→千葉→東京→横浜と、60年かけてもその都度都度に土着を目指す性質なもので、飛行距離はアサギマダラの一生である半年分2000キロの半分足らず。蝶の中でも特異なやつらと比較するのも変過ぎますけど、つい、こんなんでよかったのかなあ、などと思ってしまう再会でした。人生が移動ベースなのか、土着ベースなのか、ホモ・サピエンスは間違いなく、基本的に土着の猿です。されどその場所場所で必ず巻き起こる仲間同士の騒動、食糧難、災害などから逃げ惑って、止むなく住処を変える事の繰り返しで地球全体に生息域を広げた、つまり苦悩の末の生き残り移動作戦が功を奏して地球の覇者になったわけですから、まあ、これでいいのだ、ってことなんですけどね。
そうそう、ウナギは移動距離8000キロの人生だそうです。かのジークムント・フロイトは当初ウナギの研究者だったそうで、しかし謎多きその生態を探るうち、もっと大きな人間の心という謎に興味が移って精神科医となったお方。フロイトは言いました。
チェスは二人でプレイするゲームだが、実際には4人で行っている。互いに「勝ちたい自分」と「負けたい自分」がいて、相手の「負けたい自分」を引きずり出した方が勝つのだ。
意識と無意識を端的に表現した言葉です。理想の庭の実現を阻止しているのはいつもその人の無意識。さて、では、相手の「勝ちたい自分」を引っ張り出して玉座へと導く負け方は・・・。そうか、無意識に従って海を渡る美しき蝶でいることではないかと思った次第。え、意味不?わからない?大丈夫、ぼくの意識では無意識領域を凌駕して、支配する、きっちりとスッキリした回答だったので。
では、そこそろ梅雨が明けますから、南へ。