夏本番
やたらに早く始まった夏に、ようやく蝉の声が追いついてきました。連日通勤途中に咲いている夏の花を見つめていて思うことは、今年の夏はとっても夏らしい夏になるなあという予感。昨年に比べて植物の成長が力強いのです。梅雨明けを早まらせたあの灼熱の1週間も、庭木と草花たちには丁度良い刺激だったようで、その後のシトシトと降った雨で癒され回復し、そのまま勢いを増しています。季節にふさわしい姿で夏休みらしい風景の役回りを果たしている花にエールを送りつつ、植物が元気だと人も元気になりやすいわけで、暑さ寒さも彼岸まで、特大サーモスに氷水を充たして、さあ今日も大汗かいて頑張りますぜ。なあに、このくらいの暑さなら屁でもない。夕方になれば、横浜港から磯子の丘を越えて吹き込む風が心地良し。
暑さ寒さも彼岸まで、とは。残暑は秋のお彼岸にはおさまるし、冬の寒さは春のお彼岸あたりで和らぐとうこと。だから我慢しなさいよ、という意味。さらには彼岸とはあの世、三途の川の向こう岸、煩悩を脱した涅槃の世界を指しますので、暑いの寒いの言ってられるのも生きてるうちですよ、ということなり。
またひとり、知り合いが川を渡っていきました。頑張って頑張って、頑張り続けて、それでもなかなかうまくいかない人生だった彼に、ナイスファイト!平穏無事で退屈な人生に比べたら、負けないぞ、諦めないぞと前のめりを続けたその頑張りを尊敬する。よくやったよ。少々精神が傷んでしまった奥さんに手こずりながらも高村光太郎を目指し、諦めずに理想の家族像を追った、誰よりも濃厚なその人生に献杯。俺もそのうち追いつくから、岸辺で楽しみに待っとれよ。積もる話はその時に。
岸辺に咲く花数ある中で、蓮は涅槃の玉座なり。似非仏教徒ではありますが、蓮の花は格別に記憶を呼び覚ます。そこに座するは幼きぼくを愛してくれたたくさんの人たち。爺さん婆さん親兄弟、近所のおばさん、お使いに行くとプラッシーをくれた米屋のじいちゃん、夏になると遠方から、お土産たくさん持ってきてくれる親戚の人たち、歳近いのに早々と逝ってしまった友人たち。俺はラッキーなことにまだこっちにいる。気が滅入ることもあるが、悲しいこともあるけどさ、それもこれもぜ〜んぶ込みで生きている証なのだから、今日も気合一発集中力をマックスにして、午前中は外仕事、昼からはTシャツ着替えて気分を変えて、設計設計また設計。
振り返れば、今植物たちが元気なのはあの灼熱があったから。動植物は苦難を跳ね除ける時に生命力が最高潮にまで発揮されるんだよなあ。カモーン苦難、どっからでもかかってきなさい。残り時間でやりたいことは、ひたすらに感動の庭を思い描くこと。幸福な家族の舞台となりうる庭空間を、ひとつでも多く生み出すこと。生老病死、喜怒哀楽、弱肉強食、焼肉定食、あらゆる出来事が設計の原資なり。だから平々凡々なんてのは真っ平御免の助だ。