青い海・赤い海
昔々のそのまた昔、世に『ブルーオーシャン戦略』というものがありました。ブルーオーシャンとはつまり、ラグーンの沖合いに広がる紺碧の海原で、片や岸辺に近い場所はレッドオーシャン、真っ赤な海です。どういう事かと言いますと、これはビジネスの考え方で、人がごった返している内海では値下げ合戦やらコマーシャリズムやらで、血で血を洗う阿鼻叫喚の商業戦争が起こっている。その内海で働く企業戦士が流す血で真っ赤に染まった海がレッドオーシャン、というわけ。しかし落ち着いて目を外海に転じてみれば、そこは穏やかに広がる青い海原で、数人がのんびりとボードを漕ぎ、優雅にセイリングやシュノーケリングを楽しんでいる。だからレッドオーシャンからいち早く抜け出した者が楽々と成功するのである、という考え方です。ぼくは素直なもんですから、当時すぐに、腑に落ちたその理路を歩み出しまして、お陰様で今もこうして、悠々と海原をセイリングするような営業を続けることができています。
ハチスが項垂れ、散歩道に早くも秋の気配あり。
で、ですね、ぼくがそうやってひたすら平和な沖合で庭を生み出しているうちに、いつの頃からかその生み出した庭が、お客さまにとってブルーオーシャン化していることに気づきました。暮らしに疲弊している人の視野には入らない平和な場所、自然と歩調を合わせながら心穏やかに、愛する人との幸福を紡ぐ庭。赤い海からパドリングで抜け出してみたら、なんであんな酷いところで必死に雑草と戦っていたんだろうと、今では雑草取りが楽しくて楽しくて、と思える暮らしが手に入った幸運な人たちから「あなたに出会えてよかった」「庭の仕立て直しで人生が変わりました」なる過分なお言葉を頂戴することもしばしばで、いやあ全く、昔々に素晴らしい考え方を得たものだと、これが我が幸運であったと神様仏様に感謝感謝です。
ところで、そのような境遇にありながら、仕事はシュノーケリングをするような遊び感覚だけで進むわけではありません。それはなぜか。ぼくは日々ブルーオーシャンで暮らす人たちに向けて庭づくりをしているわけではなく、レッドオーシャンから沖を目指す人を救出する庭の提供が主な仕事と心得ているからです。故に定期的にタグボートで血の海に向かっていかなければならないわけでして、これがなかなかキツい。ボートの周辺には庭のことなど考える余裕もなく、それぞれが抱える人生の苦難と闘っている人々が大勢立ち泳ぎをしている。心が痛みます。時には救いを求めているのか、ぼくのボートにしがみついてくる人も。もちろん引き上げようとします。しかし沖合を目指す意思がないままいつまでも舳先にぶら下がられても困るため、救命胴衣を手渡して、一応は青い海が存在することをお教えして別れるしかないわけで、これが結構なストレスなのです。
庭とは摩訶不思議なる場所で、今よりも幸せに暮らしたいという意志を持つ人にはその望み以上に幸福な場所として出現する。逆にそんな望みなど持たない人には、どんなに頑張ろうとも、どれほどお金を使おうとも決して幸福な庭は実現しないのです。つまり何らかの価値を持つ庭は、住む人の意識のプラス領域にのみ存在する、というわけ。美味しい中華を食べたければ中華街の名店に行って注文すればいいし、おしゃれな服が欲しければ上大岡のデパートに行けばほとんど手に入る。ところが庭は、意義や意味のある価値ある庭は、そう簡単には入手できない。欲しいと思っても、ある程度のイマジネーションと段取りを踏まない限り辿り着けないのです。
あのお、ご希望はよくわかりました。雑草取りをしなくていいように砂利を敷いて、木は手入れが大変だから植えないで、少しだけ野菜を育ててみたいから小さな花壇があって・・・・
そうそう、そういう庭が欲しいんですけど。
はいはいお安い御用で御座候。設計するまでもないので概算で見積りますね。ええっと、庭全体に防草シートと砂利を敷いて、小さな花壇、っと。ところで目隠しは必要ないでしょうか。カーテンを開けて暮らした方が気持ちいいのではないかと思いますので。
そんなのいいの、素敵なカーテンを買ったし、開けたら道路から丸見えだから開けることはない。
ですから目隠しがあった方が・・・
いいんですってば、別に庭を楽しむつもりはないから。そりゃあお金をかければ素敵な庭になるんでしょうけど、うちはそんな余裕ないんですよ。だいいち虫が嫌いだから庭に出ないし。
はい、了解しました。ええっと、ご希望の庭は30万円くらいでできますね。
ええっ、そんなにかかるんですか。
はい。でもかなり安く見積もってあるんですよ。ほとんどが材料費で、施工費は職人さんが意欲を持って動いてくれる最低限度の金額です。
そうなんですねえ・・・う〜ん、そうですかあ、そうよねえ、他で聞いたら50万くらいって言われたから。やっぱりそれなりにお金がかかるんですねえ。だったらやめようかしら。
そうですねえ。お金をかけても手入れの苦労は減るけど何ひとつ楽しみは増えませんから。考え方を変えて、雑草取りを日課にして、健康のための運動だと思って楽しんだらいかがでしょう。そうすればお金は一切かからないし、コツコツやってみればそれなりに気分がいい作業です。それに雑草だって植物ですから、親しめば立派なガーデニングですよ。世の中には雑草研究家がいるくらいで、タンポポやぺんぺん草や、奴らも観察しているとなかなか可愛いものです。
あなたは面白いことをおっしゃるのね。でも、本当にそうしてみようかしら。雑草を楽しむ、草取りを楽しむ、それでお金はかからないし、もしかしたら庭を楽しく感じるようになるかも。
はい、名案でしょ。「 せり なずな おぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞ七草 」と、これが春の七草で、1月7日に無病息災を願って雑草を七草粥にして食べる風習です。それに対して秋の七草は「 はぎ おばな くず なでしこ おみなえし ふじばかま あさがお 」。これは食べるのではなくて、野に咲く草に秋の風情を感じて夏の疲れを癒しましょう、ということ。春には大地の滋養を摂り、秋は野の草を愛でて情感を育む。
なるほどねえ〜、だんだんあなたのことがわかってきたわ。近所のお友達からこちらのことを教えられて、ほら、磯子区の山田さん。すっごく庭を楽しんでるからうらやましくて、それで来てみた、というわけ。
そうでしたかあ。ええっと、磯子区の山田さん、山田さん・・・、ああ山田さんちですね。あそこは格別なお庭です。毎日庭で過ごしてらっしゃるでしょう。まずはカーテンを開けて過ごせるようにすることを考える。次はどんな仕立てがワクワクする庭なのかをイメージすること。もしもワクワクが高まってきたらぼくに声をかける。はい、それで幸福な庭が出現します。
ふむふむ、すでにワクワクしてきましたよ。そうかあ、だから目隠しっておっしゃったのね。わかった気がします。
では帰ったらカーテンを開けて、気になるところを隠すことから想像してみてくださいね。想像してごらん、聖ジョン・レノンが歌っていたように。答えは庭に吹く風に舞っている、これはノーベル文学賞を受賞したとある詩人の一説です。
ボブ・ディラン。
ピンポーン!とてもお若く見えますけど、どうやら同年輩のようですね。
というわけで、またひとりブルーオーシャンへとお連れすることができたようです。めでたしめでたし。
気がつけば賑やかだった蝉時雨が消えて、時々思い出したようにツクツクが鳴いています。次はマツムシ。夏が猛烈に暑かった分、今年の秋はいつもの秋より味わい深くなりそうです。