想像してごらん
日々猛烈な暑さと対峙しているうちに、気づけばお盆がすぐそこに。その前に、戦争にまつわる祈りの時が立て続く。あの悲惨を受け止め継承してゆくことと同時に、この頃強く思うのは、半径10メートルの平和を実現することの重要さです。夫として、親として、爺さんとして、家族の暮らしを平和で豊かなものにする能力を失ってしまったら、という不安が(合理的理由無しに)付き纏うようになりました。これが老化なのでしょうかねえ。
真夏日の散歩道、百日紅だけが元気いっぱい咲いている。
強い。
鮮烈に咲く姿に励まされるこの感じ、いいんだなあ〜。
と言いつつ、日陰を辿って歩みののろいお爺さん。
暑い。
夫としては女房からの無体な空爆に逃げ惑い、親としては子どもたちから介護的に気を遣われているし、爺さん的には孫を可愛がるより「じいじくん、お仕事頑張ってね」と可愛がられているしで、いやはや。
まあいっか、やりがいのある仕事に夢中になる時間は増える一方だから。これでいいのだ、これでいいのだバカボンボン。不安なんぞはあった方が良いのだよ。不安だから、その不安を振り切るように働ける。全力疾走を続けられるのです。あ、そうか。この、多分、加齢による不安感は、神様が我が人生を華麗に完全燃焼させるベく導いてくれている、ということに違いない。
人の脳というのは年齢に応じて、細部に渡って、実に見事なシステムが組み込まれているものですなあ。そのプログラムにエラーを起こさないために必要な、たったひとつのことは『正常』でいること。事件やスキャンダルや、仕事柄、常に持ち込まれる庭にまつわる隣人トラブル、どれもこれも脳のシステムエラなのであります。あの戦争も同じく。ぼくの、あなたの、半径10メートルに存在する魂が正常で、その円が重なり調和した、平和で豊かな世界が訪れますように、とイメージしましょう。
祈りとは、誓うことである。何を誓うのか?家内安全商売繁盛、家庭円満愉快な時間、世界平和とSDGs。そんな未来を想像し続けることを誓うのです。 イメージしましょう。イメージしましょう。イメージできたらできたも同然。人生すべからく、想像が創造を生むのですから。