ホモ・サピエンスの得意技
ここ半年、お客様に明らかなひとつの傾向が見えてきました。第五派のグラフが下降に転じたあたりから「庭をリニューアルしたい」、「ペンキ塗りや剪定でリフレッシュさせて、ガーデニングに夢中だった頃の暮らしを取り戻したい」という依頼が立て続いているのです。それ以前はもっと現実的というか即物的に、雑草取りを楽にするために人工芝を敷きたい、物置の設置、物干場の増設などの注文が怒濤のように寄せられて仕事的には大混乱。ようやくそれが収まって一息ついていたら、今度はもっと内面的な欲求による、物じゃなくて事、庭を楽しみたい人たちが動き出したのです。
春限定のはずのピエールが一輪、見事に咲きました。
狂い咲き?いやいや、きっと正常に気候を感じ取って花開いたのでしょう。
狂っているのは気候の方なのかもしれません。
他のバラも秋冬らしくぽつりぽつりと。
花いっぱいの年末年始をイメージして、そろそろ追肥をせねば。
我が意を得たり。ようやくコロナ報道にストレス耐性がついたのか、あるいは苦悩の末に悟りを開いた賢者の思考でしょうか、多くの人が守るべきは家族の笑顔であり、やるべきは着実に今日を充実させる暮らし方であるという意識にまで到達したんですよね。理屈では理解していても、やはりある程度のキツさの末にしか辿り着けない幸せの玉座に、さあここらが椅子取りゲームです。とは言うものの、このゲームに敗者はいないのでご安心を。参加しさえすれば全員が座れる椅子が用意されている。問題はゲームの開催に気づくか否かだけ。
スピリチュアル傾向のある女房殿によれば、「土の時代」が終わって「風の時代」に入ったそうです。これまでの生産重視、効率重視、権威主義から、次なる課題は真逆で、庭でのんびりと風の歌に耳を澄まし、いい風が来たら逃さず帆を張る、あるいは心の翼を広げる。昭和時代なら木偶の坊とか、レールから少々外れたヒッピーかアウトサイダーと思われたかもしれないフリーなハートの中に、本当に大切なものがあるのだと、ディランが歌っていたように、答えは風に舞っているからそれを捕まえよと、そんな時代に入ったとのこと。
それを庭で実現するために一番大切なことは「庭は生活空間である」という認識。庭のある暮らしに憧れ、借りられるだけのローンを組んで手に入れた庭付き一戸建て。引っ越しが済んで、段ボールが片付いて新生活が動き出す。さてさて庭をどうしましょう。とりあえず雑草押さえに防草シートと人工芝で庭っぽくしておこうという若いご夫婦に、何度この話をしたことか。いいんですよ、スタートがそれでも。それはいいんだけど、よくないのはそこで一件落着してしまって、最初に抱いていた庭のある暮らしへのトキメキが消え去っているという点。何年経っても楽しんだ形跡などないままにビニール製の草が色褪せてゆく悲しさよ。
ご近所をご覧ください、人工芝の庭に面した掃き出し窓のカーテンは必ずと言っていいほど閉まっています。せっかく思い描いていた庭を楽しむ暮らしのことなど建物の打ち合わせをしている間に消滅して、設定として「雑草が生えない庭」が理想なんだと、勘違いか、庭を厄介な場所だとしか捉えていない人たちが発信する情報によってそう思いこまされてしまう。またその話かよって言うなかれ、雑草取りが楽しい庭が理想型であるなどと言い張っているのはぼくくらいのものですけど、でもこれは譲れない。庭はもっと高度で、複雑で、建物と同等かそれ以上に、子育てや介護や、夫婦仲良く旅してゆくために有効な、生きる上で重要な意味を持つ場所なのです。
もう(ぼくの周りに、ですが)妙に気持ちが落ちたり沈んだり、途方に暮れている者は見当たりません。テレワークが身に付き、マスク姿も板につき、庭を整え、花を育て、家族で集い、夜にはひとりの庭時間を楽しんでいる。大きくそっち方向へ、庭を楽しむ暮らしへと意識が向いて舵が切られた感じです。ヨーソロー、もう大丈夫、ひとり残らず花丸のハンコを押して差し上げる。いやほんとによく頑張りました。っていうか、もうすでに、何がキツかったのかも実感を伴っては思い起こせないことでしょう。でしょ?それでいいんです。この忘却こそがホモ・サピエンスお得意の進化方法なのですよ。悲しさも、腹立たしさも、明日への不安も、実感は風と共に去りぬ。
さ、あとは気軽な気持ちで玉座に腰掛けるだけ。1、カーテンを開けて暮らせるようにする。2、庭との段差を解消する。3、部屋からの景色を整える。4、庭を間取りして立体的に組み立てる。5、夜の庭を楽しむ。6、、、、続きはアーカイブ『家族の庭のつくり方』へどうぞ。庭ですよ庭、庭の整備が手っ取り早いコロナからの復興なり。大切なことはいつでも庭を行く風に舞っている。そいつを捕まえておけば、第六波が来たとしてもそんなのはどこ吹く風。ちなみに、風の時代は今後250年ほど続くそうです。