古代ギリシャに由来する三段論法の代表的な言い回しです。
1(大前提)ソクラテスは人間である。
2(小前提)全ての人間は必ず死ぬ。
3(結論)ゆえにソクラテスは必ず死ぬ。
これを使って庭の有用性を論証しようと、昨晩庭の書斎にて1時間ほどを費やしました。ダメでした。そもそも大前提が立てられない。庭は〇〇である、と言い切ることができないのであります。これが家(建物)だったら、大前提「家は安全な暮らしに不可欠な場所である」と言い切れる。次に小前提「安全とは幸福の基本である」と来て、結論は「ゆえに幸福の基本は家である」と、家の有用性をアピールすコマーシャルが出来上がるのですが。
庭は〇〇である。〇〇は「幸福な暮らしに欠かせない場所」なのか・・・そう断言できるようなことではないし、「無いと不自由する場所」でもないし、「園芸を楽しむ場所」でも「昼寝をする場所」でもない。ただしこれらはあっさりとひっくり返すこともできる。ある人には無くてはならない場所だったり、園芸を楽しむ場所だったり、昼寝をする場所だったりもする。やれやれ、へなちょこ頭には限界があるのです。