自分を感じる
自分が好調な時は庭に勢いを感じ、元気がない時には庭も意気消沈。
ロマンティークに過ぎるやもしれませぬが、
おっさんながら、庭の一輪に自分を見ることがあります。
花でも、虫でも、野鳥でも、その命に自分を投影してはもの思う、
ありますよね、そんな瞬間。
「この花は私です」から始まる阿久悠作詞のあの曲は、
今では年寄りのノスタルジーか、はたまた昭和の子らの宝物か。
気づきとしては、
ミラーニューロンは老化しないんですよね。
それは合わせ鏡のようなものなので、庭を整えればあなたが整い、花いっぱいにすれば花咲く日々がやってきます。
一昨日のお月様、素晴らしかったですね。
斜め左上から庭に降る月光を浴びて、ポッカーンとして30分ほどメディテーション。
ベートーヴェン、30歳のある夜の出来事。
悩み多き音楽家は苦悩しがちな頭を持て余し、
夜風で思考を整理整頓すべく、ひとり月明かりの街を散歩していました。
するとどこからかピアノの旋律が。
庭に近づき家の中を覗いたら、なんと演奏者は盲目の少女。
しばし聴き入り、たまらずその家のピンポンを押したら招き入れられ、
その少女に即興の曲をプレゼントしました。
少女と家族はすでに名声を得ていたタレントの訪問と、
その美しいメロディーに抱き合って感涙したといいます。
帰宅後、彼がその演奏を思い出しながら五線譜に仕上げたのが、これ、
『月光/ピアノソナタ第14番』であると伝えられています。
苦悩→月明かり→出会い→創造。名曲、名画、名園は、
しばしば月の女神ルーナに導かれて生まれます。