ロケハン
もしもあなたが人生のある地点で庭スペースを手に入れて、そこに理想的な庭が出現したとします。それから何年かが経過して、その庭の設計者にお礼を言いたくなる、というようなことがあるでしょうか。ぼくは庭以外で、例えば家の購入時、不動産業者の素晴らしい担当者との出会いとか、仕事では、うちの店に興味を持って声をかけてきた職人さんが、その後優秀な主力として次々施工をこなしてくれていることとか、出会いの幸運に感謝することがいくつかあり、その人たちにはいつも「ありがとうございます。おかげさまで」という気持ちを抱いています。
では数年前に作った庭の設計者のところに感謝を伝えに行く、そのために出かけて行く、ということはあり得るでしょうか。ぼくはそこまでやらないかなあ、と思うのです。性格がいい加減なのか、あるいはちょっと傲慢なのかもしれませんね。どうも自分がそういうお礼参りをするということが、リアルにイメージできないのです。
そんなぼくのところに、今日は4組の方がお礼を言いに立ち寄ってくださいまして、何ともはや恐縮至極。
いつも不思議に思うのは、こういうことが同日に重なるということでありまして、天気の具合なのか社会情勢の何かなのか、いち日に何組も、近隣から、遠方から、複数組のお客様が来てくださいます。曰く、素敵なお庭のおかげで毎日楽しいですよ。曰く、あの時庭をやっておいて本当によかった。曰く、庭で感動するっていう意味がわかりました、曰く、いわふちさんに出会えて人生が変わりました、と。
いやいやいやいやとんでも8分、歩いて10分、ぼくが設計した庭は器とか舞台美術みたいなものでしかなく、その器に何をどのように盛り付けるのか、その舞台で如何なドラマが展開さえれるのかはお客さまの範疇です。だから庭に感じている価値はぼくではなく、お客さまの感覚や暮らしぶりに価値があったということなのですよ、というよなことを言ったり言わなかったり。とりあえず照れながら「ありがとうございます」と、「春だからたくさん花を植えてくださいね」などと言ってから、その庭で展開されてきた幸福な時間のことを伺って盛り上がり、大いに笑い、時には泣いて、その後の庭の姿を想像しては次の設計の糧にしているのです。
自画自賛ははしたないことながら、こうも多くの人からお褒めいただくということは物凄いパワーになる。今取り組んでいる設計に、自信を持って理屈やこだわりや願いや思いを織り込むことができる。感謝だなあ。あ、時には泣いてっていうのはですね、庭を楽しむ暮らしをしている賢者たちにも、満遍なく人生上の苦難やアクシデントはやってくるもので、そんな折に庭の存在が心を癒し、励ましてくれたというような話には泣けるのですよ。がんばれがんばれ。庭は頑張る人に呼応して奇跡のような威力を発揮して、人の手を引き背中を押して、こっちこっちと導いてくれる場所で、そんな場面をお聞きするたびに涙を堪え切れずに笑いながら鼻をかむこともしばしばで、いやあ庭って本当にいいものですねえ〜と、金曜ロードショー的に感動するのです。
そうか、そういうことか。設計作業はロケハンみたいなことかもしれませんね。映画のシーンを思い描いて、それに相応しい場所を設定する。そこで繰り広げられるドラマは悲劇でもホラーでも地獄の黙示録でもなく、ほのぼのとした陽だまりのホームドラマ。笑あり涙ありで、寅さんとか、釣りバカとか、ああいう感じの。家族っていいよなあ、人生って素晴らしいものだなあというような、期待通りのエンディングに向かって展開される、凡庸にして幸福なる物語。
何故に、ある日にその手のうれしいご来店が集中するのか。ひとつは、たぶん、世情なんですよね。あの津波の後も、コロナが深刻化した頃も、こなし切れずに大混乱してお客様に迷惑をおかけするほど設計依頼数が上昇しましたから。地球規模の平和の祭典、雪国の子らから清々しい感動とたくさん頂戴したオリンピック湖閉会式翌日に、悪質でノンセンスなジョークみたいに始まった戦争が、気がつけばこんな有様で、さらに酷い悲劇の拡大へと展開しするらしく、いやはや。こういう時に賢者は家族の時間とか、今日の充実とか、幸せってなんだっけ、とか、真剣に考えた末に視線が庭へ行く、そういうことなんですよ、きっと。
ゲームや読書をしないと退屈になってしまうほど平安な日々、空気のような家族の存在、無自覚にして奇跡的に維持できている健康、腹一杯でうたた寝ができる豊かな暮らし、家族が引き裂かれたり、命を奪われたりを心配する必要のない平和な国。そして、幸運にも所有しているせっかくの庭スペース。誰が言ったのか忘れましたけど、こんな叱り言葉をよく思うんです。
それを失わなければ気が付けないのか、本当に大切なものは何なのかを。
あ、いや、今日は3月11日だし、今ある幸せを確認しときたいなあって思いまして。忙しさに負けて間が開きっぱなしのブログを今日こそ書かなきゃなって思ったら、やたらに早く目が覚めてしまった、夜明け間近の庭にて。
お、本日も晴天なり。