半端な総括
思い起こせばあの津波の翌日、女房に「こりゃあ世の中しばらく庭どころじゃないよ。とにかくトラックで東北へ行こうか、行けば役に立つことは山ほどあるだろうし」と話しました。ところがその翌日からお客様が、それこそ津波のように押し寄せてきて、忙しいというか少々混乱状態で、東北へ行こうという気持ちはかき消され、庭の相談と設計の日々になったのです。
あの日のことを思い出すと今でも感動するんです、その時のお客様方の心情が。こんな時だからこそ家庭環境を整えて、家族との時間を充実させ、いち日いち日の時間を大切に暮らしたい。その手始めに、いつか何とかしなければと思っていた庭のリニューアルに着手しよう、という気持ちが、迫力を感じるほどのボリュームで伝わってきました。
コロナの第四波〜第五波の頃も同じで、今だからこそ庭なんだとばかりに来店される人たちと、庭について語り、考え、アドバイスをし、設計をする。当然こなし切れずにご迷惑をおかけしたことも多々あり、その後の沈静化でようやく仕事が追いついて、いつものペースで設計に、現場にと夢中になれたのも束の間、今度はウクライナの戦火が激しく燃え上がってしまい、いやはや、またも相談予約と積み上がる設計依頼でオーバーワーク&オーバーヒート状態になっています。
もちろん仕事が多いことはうれしく、危機感によって、まるで目が覚めたみたいに庭へと意識が向くことは素晴らしいことです。ただ、ぼくの対応能力は無限ではなく、裏腹にすべての相談に最良の展開を探してしまう愚かさというか、悲しさというか。まあとにかく、ひとつひとつを丁寧に最善を尽くします。お待たせすることを含めて不手際もあると思いますので、どうかお許しを。
と、長々といつもの言い訳をしておいてと、ここ数日は意識的に、主にテレビとラジオから流れるウクライナについての情報をチェックして過ごしました。理由は前に書いた通りで、戦争がいかにして起こり、どのように展開し、誰が何を発言し行動して、ついに平和を取り戻すのかをしっかりと目撃しておきたかった。それをいつか、そんなタイミングが来た時に子や孫に、年寄りの立場からの的確なアドバイスとして伝えたいと思ったから。それが戦争を知らない子どもたちから人生のスタートを切ったぼくら世代の任務なのだと考えたからです。
今のところ、そんな役に立ちそうな結論などへは辿り着けず、それどころかどんどん、泥沼にハマったみたいに気が滅入ってしまい、言いたいことやら叫びたいことやらは湧き上がるものの、それは翌日には全く違う思いとなっている。どこにもかしこにも正義が有り余っていて、その結果がご覧の通りなわけで、つまりはただただホモ・サピエンスが、今話題の『残念な生き物図鑑』のトップに来る猿なんだよなあということくらいで、戦争とは、人間とは、報道とは、国家とは、男とは、女とは、そもそも幸せとは・・・そんなたくさんの?が積み上がってゆくばかり。
ただひとつだけはっきりと見えたことは、自分ちの平和を堅持せよ、半径5メートルの幸福を噛み締めよ、ということです。多くの論客が、プーチンにものを言える人がいない、と嘆いています。ぼくは思うんですけど、プーチンにものが言える人は側近でも他国の首脳でもなく、家族なんだと。奥さんとか子どもとか、愛する家族の言うことなら己が幸せの根幹ですから聞かざるを得ないわけで、きっと彼にはそういう家庭が存在しないんだろうなあと。だから平気で無辜の民に向けたミサイル発射を指示できるんだろうなあと。我が子を失う悲しみのかけらも感じられない、そんな人生なんだろうなあと。
家庭の平和、家庭の幸福、花いっぱいの庭と笑顔が絶えない庭時間と、それが Love & Peace の源泉なんのである、とあらためて思った次第。こんな程度しか自分の考えをまとめられない不完全なる総括のままで、申し訳ないけど少しだけ、ウクライナから意識を外そうと思います。本当に申し訳ないけど、仕事とわが家に集中しなければならないので。ことに、わが家のプーチンを暴走させないことに全力を尽くさないと、火の手が上がると平和を取り戻すのにとても苦労しますから。女房どのよ、日々 Love & Peace でお願いいたします。