瓦礫に花を咲かせましょう
あなたと同じように、言いたいことは山ほどある。山ほどあるが、それを誰に向かって言えばいいのか、何かを叫べば事態がいくらかでも好転するのか、となると声にはならない。ブログを書いても愚痴を並べ立てるばかりになってしまい、で、気が滅入るので、しばらく遠ざかってしまいました。
惨たらしく奪われ続ける命。その惨状の中で生き残った人たちの精神が正常の範囲から外れないでほしい。あるいは泣き叫んで、狂ってもいいから、希望の光を見失わないでほしいと、地獄に仏で友や家族や、瓦礫から這い出して咲く野の花からでも、ほんの1ミリでも癒される瞬間があってほしいと願うばかり。
誰かが言っていた言葉がリフレインする。ついさっきまで、愛情に溢れていた家族を目の前でゴキブリを捻り潰すように殺されたら、そりゃあ反撃するでしょ。泣きながら敵を殺すでしょ。あったりまえのことですよ、と。 ですよね。
これが戦争なんだなあ。いい歳こいて、いまさらながらに、理解し難い集団狂気が巻き起こす事態をただ見つめるばかり。気がつけば思考が宙を彷徨い仕事の手が止まったまま呆けた顔になっている。こんな時に、こんな気持ちのままで幸福なる庭空間を思い描くなどできっこないって。
そんなダメダメな状態から抜け出す方法はいくつもある。例えば、設計を心待ちにしてくれているお客様の笑顔を思い出すだけで攻守は逆転、彷徨っていた精神が風に舞っている答えを掴んで現世へと着地し、設計の椅子に着席し、イッツ・オートマチックで仮想庭へワープするのです。これがぼくの天才性なんだよなあと、誰も褒めてはくれないからいつもの自画自賛。
我が領域、創造欲求が満ちている庭世界からあえてプーチンのことを考えてみた。もしかしてだけど、もしかしてだけど、現在の地球上で最も感動的に自画自賛し、躍動的に生命を輝かせているヒトはヤツかもしれない。狂気であろうと、歪んでいようと、間違っていても、だ。またもや誰かの言葉がリフレイン。人はみんな死んじゃうんだよ。王様も奴隷も、老人も赤ん坊も、みんな死んじゃうんだよ。だからね、生きてるうちに感動した者が勝ちなんだよ。
確かにそうである。で、あれば、冗談じゃねえ、プーチンなんぞに負けてたまるかよ。え、勝ち負けの問題じゃない?いーや違う、これは勝ち負けの問題なのだ。時々狂ったようにしか思えない言動の、無体な女房殿の空爆には負けっぱなしだが、一生をかけて、自分には負けたくないのだ。プーチンがそうであるように、自分には負けず嫌いなのだよ。
プーチンに勝つには、、、プーチンよりも感動的に今日を生きるには如何な戦術で戦うべきか。ふふふ、ふふふ、ふふふのふ、策はある。それは正常でいること。狂気の感動は野の花を踏みにじって進軍するが、正常なる感動は荒地に花を咲かす。これまでに何度も何度も、庭を楽しむ人たちの、聖戦とも呼べる真剣な暮らしぶりに感動してきたから言い切ることができる。
瓦礫に花を咲かせましょう。自分の花を咲かせましょう。花咲か爺さんは、庭を行く風に舞う答えをキャッチして、今日も設計設計また設計。中村様、お待たせしていて申し訳ありません。ようやく着工できる状況になりましたので施工図を整えます。丸岡様、植木が届き次第、バラを植え、芝生を張って仕上げますので今暫くのご猶予を。森信様、材木の塗装が仕上がったら追加分のフェンスを取り付けます。岡本様、夢中で変更設計の真っ最中です。夢中ですから夢の中、必ず夢のような庭空間が出現します。瀬尾様、既に脳内にはワックワクの庭が仕上がっています。しかも2プラン。楽しみにお待ちください。
どれだけの道のりを歩めば、俺は一人前の「男」と認められるのだろう。白い鳩は、どれだけの海を渡れば砂浜で休息できるのだろうか。どれだけの砲弾が飛び交えば、人は攻撃を止めることができるのでしょう。友よ、答えは庭を行く風に舞っている。答えは風に舞っているのだ。