ティータイム『モノクロームの色彩』
人はなぜ夕焼けにグッと来るのか。その回答をチコちゃん風に言うなら、それは色彩が単一化されるから〜。
今朝は色彩、色のお話です。
物が何色に見えるかは目で捉えた光の反射を脳が判断しているだけで、実際には色というものは存在していない。りんごは赤ではなく、赤く見えているのであって現実的にはリンゴは無色だそうな。
人(霊長類)は三色型色覚を有していて、赤・青・緑の三原色の混合と照度の強弱であらゆる色を感じている。それに対して霊長類以外の哺乳類は二色型色覚(青・緑)で、人の感覚で言うなら世界の何もかもが青〜水色〜緑に見えている 。鳥類は三原色に加えて紫外線や磁場まで見えるそうですから、これまた人の感覚だとカラー写真にシアンを滲ませたような世界で、磁場がどう映っているのかは不明ながら、砂嵐みたいに漂う粒子として捉えているのかもしれません。昆虫はモノクロームの中に黄色だけが際立って見えているとされてきたものが、研究が進み、もう少し多い色彩の世界にいるらしいとのこと。
リンゴは赤いのではなく無色です、とするとですよ、無色とは? 黒なのか白なのかはたまた透明なのかと疑問が浮かびますよね。庭の夜なべであれこれ調べたところ、その疑問自体が色という概念に縛られているので意味をなさないらしいのです。あえて言うなら無色とは無彩色ですから黒から白のグラデーション、つまり世界はモノクロームなのである、となります。さらに、モノクロームを黒から白と定義するのも変で、それが赤の濃淡であっても、青の世界であってもいいわけで、つまり単一色の濃い薄いで構成されている状態をモノクロームである、ということになります。
だらから人は夕焼けを認識するそのオレンジ系の単一色に、霊長類となる以前のネズミやトカゲや魚だった頃に見た、シンプルな色数の世界にいた頃から続く DNA が刺激されて無意識に感覚が過去方向へ、太古へと先祖返りするのかもしれません。それともうひとつ、色数が少ない状態は情報量が少ないということなので、危険を回避するために脳が補色作業始めます。夕焼けの中で赤いマムシに出合ったらそれは危機ですから、模様や形から判断して、塗り絵をするようにマムシの色を察知して逃げる、あるいは攻撃するわけです。
先祖返りにしろ補色作業にしろ、夕焼けに染まった風景に遭遇した時に脳は活発に動き出します。その一環としてロマンティックになり、家族の元へ帰りたくなり、夕陽に向かって走り出したくなる、というわけ。だから人が夕焼けにグッとくるのは、色彩が単一化されているから〜、となる。その作用は夕焼けに限らず、霧の中、サーファーがパドリングで沖へ出て見る海と空だけの青い世界、ぼくが今いる夜明け前の庭でも同じことで、少ない色によって心がセンチメンタルジャーニーに出発するのです。
写真でもモノクロはグッときますよね。映画もそう。写真でその感じの最高峰を味わうなら山形県酒田市にある土門拳記念館へ行ってみてください。感動で震えますよ。中庭の流れに突っ立つイサム・ノグチの彫刻『土門さん』と、ギャラリーから眺める見事な現代庭園(勅使河原宏)も込みでぜひ一度は。