Facebookの「過去を振り返る機能」により、6年前に11年前を振り返った日の記事が出てきましたので、今日はそれを発掘して転記します。
ポールとの再会・自分との再会
行ってきました、東京ドーム。
いやあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜感動とはこのことです。11年振りのポール・マッカートニーは、この世のものとは思えないほどの輝いていました。
そう、美しかった。声、姿、動き、空気、怒濤のように美しかった。
11年前、ぼくは目の前にいる(数十メートル離れていましたが)ポールに涙しました。
その時のことを書いた記事がありますので、それを転記します。
昨日の続きです。
「3つの人生理念」の3番目に「感動すること」と書いて、その数ヶ月後に感動の場面が訪れました。その感動は、これまでのぼくの人生でベスト3に入る感動!それは2002年11月、ポール・マッカートニー東京公演です。友人がチケットをとってくれて、妻と連れ立ってドームへ行き、ワクワクしながら開演を待ちました。
会場が暗くなって、そして地響きのような大歓声とともにポールが登場して、その歓声の中、1曲目ハロー・グッドバイ、2曲目ジェット。本物のポール・マッカートニーが歌っている、あのビートルズのポールが・・・、何だか目の前で起きていることが理解できないというか、今自分がそこにいるということが信じられない感じで茫然自失。あのポールが、あのポールが、「生まれ変われるとしたらバッハの左手になりたい」と言っていたあのポールが、ぼくの思い出の後ろで流れ続けた名曲を生み出して歌っていたあのポール・マッカートニーが、今ここにいる!
そして3曲目が始まりました。オール・マイ・ラヴィング。
♪クロージュラーイズ・・・もうだめでした。ドバーッと涙が溢れ出て・・・そこが東京ドームだということも、隣りに妻と友人がいることも、そういうことがぜーんぶ消えてなくなって、「ポールがぼくのために歌ってくれている」と、一気にそんな感覚に。
その当時横浜に店を出したばかりで、先行きの不安や睡眠時間を削りながらの忙しさに、妻も私もヘロヘロに疲れきっていました。ふたりとももちろん無休で連日戦闘モードの精神状態で、子供たちは放ったらかしだし、人手は足りないし。
そうなると、お恥ずかしいことですけど夫婦喧嘩もします。辛かった、ほんとに今思い出してもゾッとするような毎日を送っていました。
「このままやってたら、何もかも、もう無理かもしれない。少しは気分を変えよう」という気持ちもあっ他のでしょう、妻がスケジュールをやりくりしてくれて、友人の誘いに乗って出かけたコンサート。「ビートルズに会える」という気分の高揚もありましたけど、それよりもほんのちょっとでいいから違う空気を吸いたかった、という感じでした。
3曲目のオール・マイ・ラヴィングでポロポロポロポロと、ジョギングした後にふき出す汗みたいに、顔は笑ってるんだけど止まらない涙。ぼくの頭の中にはそれまでの人生が駆け巡っていました。真っすぐに生きようとすればするほど、結果的には親不孝を繰り返していた日々。一生懸命なのにうまくいかなくて、気がつくといつも人と違う道を歩いていた自分。
後悔はしていないんですね。そのつど正しいと信じて道を選んで、とことん真剣にやって来ましたから。後悔していないんだけど、でも、きつかったー。自分のきつさ以上に、周囲に心配かけたり、悲しい思いをさせてしまったことも数限りなかったんです。そっちの方が何倍もきつかった。
ありますよね、そういう時期って誰にでも。ただぼくの場合は(自慢できるくらい)生きるのが下手だったもので、本を一冊書けるくらいのハチャメチャでうまくいかない時間があった。
それをポールが「ナイスファイトだったよ!よくやったぜ!」と、そう言いながら肩を叩いてくれているようで、そんな風に聞こえたんですねオール・マイ・ラヴィングを歌うポールの歌声が。
だから、もう、涙が止まらなくて。
コンサートが進むにつれて、そんな感情も消えて、夢中で歌い拍手していました。
そして最後の曲、アビーロードB面後半のメドレーが終わった時、つま先から頭のてっぺんまで、全身で感動していました。すごかったです。
コンサートが終わって横浜への帰り道、妻もぼくもまだ興奮の中で無口。湾岸線を磯子の辺りまで来た時に、さっきまで歌っていたポールからの追伸のように頭に浮かんだ言葉がありました。それは「ぼくの音楽のような庭をつくりなさい」。ほんとですよこれ、ポールからの啓示。感動に浸ると人はスピリチアルな世界に入っていくのですよ。
家に帰り着いた時にはもう、次の設計がしたくてたまらなくなっていました。ポールの音楽みたいに人を感動させる庭をつくりたい!
明日に続きます。
これが前回の来日コンサートでの記事です。
で、今回はどういう感慨があったかというと、同じでした。怒濤の美しさと、あふれる感動。ポールはぼくに、11年前と同じメッセージをくれました。
そしておこがましくも、この言葉を繰り返しながら帰路につきました。
ポールの音楽のように、人を感動させる庭をつくりたい。
もと言えば、残り時間をすべて使って、ぼくはポール・マッカートニーになりたい!
2013年11月18日、感動の余韻に浸りながら、あらためて庭への思いが燃えたぎった夜でした。
地球上で、ビートルズと同じ時空で生息できたことに、感謝です。