ご覧のとおりで建物以外は何にもない状態からの設計です。
門扉を付けないオープンスタイルで、駐車場2台分。それと2階の掃き出し窓の外にアルミのバルコニー。お客様からのご要望はこの3点だったと記憶しています。それに加えて私が提案したことはリビング前にウッドデッキを設けること。その理由はふたつで、ウッドデッキにからめて目かくしのフェンスをつくることで、リビングのカーテンを開けて過ごせるようになるということ。これは南側に道路がある場合、1度はイメージしてみるべきことです。道路側にあるリビングのカーテンが閉まりっぱなしの家のいかに多いことか。これは日頃とても残念に思っていることで、デッキにしないとしても、何かしら工夫してカーテンを開けて暮らせるようにしたいものです。もうひとつの理由は「ここで過ごしたら気持ちいいだろうなあ」と思ったのです。それは現地を見た時にいい風が吹いていたから。気持ちのいい風が吹く立地で、道路を挟んだ向かい側は遊水池なので建物が建ちません。そういう空が広くて、しかも住宅地の中に入り込んでいる道路なので、住人以外の通行がほとんどなくて静か、そういう環境だったからです。
で、こういうプランになりました。
左側
そして右側
駐車場の奥に低い位置の窓があって、沓石を置くプランになっています。この窓、にじり口をイメージしたものだそうでして、そうです、奥様がお茶をされているのです。にじり口、利休が考案した茶室への出入り口で、わざと入りづらく小さく低くしてあります。たとえ将軍であっても茶室に入る時には頭を下げさせる、そういう意図があると言います。いいですよね、こういうの。天下の秀吉相手にそういう偏屈な態度で対峙する。まあ結果的には腹切らされたんですけど。私は好きです、権力に対して堂々とハスに構える感じ。話がそれました。奥様の茶道についてはまた後日として、ビフォー・アフターをご覧いただきます。
こうしてビフォー・アフターを見ると、建物だけでは暮らしが成立しないなあとつくづく感じます。土地があって、建物が建って、そこに外構や庭ができることで屋外も生活の場所になる。同時に建物内と道路をつなぐという機能、意味が備わります。それはイコールその家に暮らす家族と社会をつなぐということ。
Before 1
After 1
この建物以外の場所を『生活の場』として認識したうえで組み立てると、生活は何倍にも豊かになる、そう思っています。
Before 2
After 2
なぜこんなことをあらためて言うかといえば、そういう捉え方をしないままに外構や庭をすませてしまう設計者や業者があまりに多いからです。一度そういう観点で住宅地を歩いてみてください。家以外の土地が生活の場所として成立していない外構・庭があふれています。
Before 3
After 3
もうひとつの観点、社会と家族をつなぐということも、繊細なことですけど重要なのです。家族の個性やメッセージが表現されている外回り、幸せな暮らしぶりが溢れ出ているようないい感じの家もあれば、「社会を拒絶しているのかなあ」と思わされる味気ない仕立てや、社会どころか「家族がこの家に帰ってくるのは気が重いだろうなあ」、こちらまで気が重くなってしまうような家もあります。友川かずきという超マイナーだったけど知る人ぞ知るフォークシンガーがいまして、その代表曲が『生きているって言ってみろ』。魂を揺さぶられる名曲で、その中にこういう歌詞があります。
自分の家の前で立ち止まり 覚悟を決めてドアを押す
地獄でもあるまいによ
生きているって言ってみろ 生きているって言ってみろ
「お帰りなさ~い」オーラが出ている家、そういう外構の家がいいですよね。
幸せな家族をもっと幸せにするための外構と庭、それをつくり続けることが私の仕事なのです。
引き続いてビフォー・アフターです。
厄介なことに、家は床と壁と屋根がなければ成立しませんが、外回りは何もなくても建物が不備なことほどの不便は感じないものです。特に庭はそうで、庭なんて無ければ無いで何ともない。その無くても生活に支障がない部分をどうイメージするか、ここが『幸せになる能力』を測るポイントだと感じています。いくら私があれこれ提案しても、お客様にそういう暮らし方がしたいという欲求が生まれなければ仕事としては成立しません。たまにはそうこともあります。私の提案力不足の場合もありますが、そうではない場合、何となく悲しい気持ちが残ります。「うちは庭では過ごさないから、何となく木が植わっていればいいんです」、「土と虫が嫌いだから庭を全部コンクリートにしたい」、「お金を出せばいくらでもすてきになるでしょうけど、そんなに庭にお金使うつもりはないから」・・・、特に最後のお金のことを理由に庭から意識を遠ざけてしまうパターンってのが一番つらくて。はっきり言いますけどお金を賭ければいい庭になるなんてことは絶対にありません。断言します。・・・まあエキサイトしてもしようのないことなので、クールダウンして。庭のスタイルは何でもありで、いっさいコストをかけないで庭全体を畑にしてもいいんですし、よく見かけますけど、えらくお金をかけているのに全然楽しめていない庭もたくさんあります。要はそこに暮らす人のイマジネーションと欲求なんです。幸せな風景、家族のシーンをイメージする力、ずっと幸せな家族でいたい、もっともっと家族の幸せを感じたい、そういう願いの強さ、強さというかそもそもそれがあるかないか、そのことをしっかりと意識しているかどうか、そういうことだと思っています。もちろんまったく資金がなければ理想の庭はつくれませんけど、それでもイマジネーションや欲求がある人は『家族の幸せ』をあきらめたり捨て去るような選択はしないもの。時間をかけてもお金を貯めて、自分でできるところは自分で汗を流して、そして理想の庭、庭のある家族の生活を実現したお客様はたくさんいらっしゃいます。お金のことなど小さな問題ですよ、ほんと。幸せな場所、家族の庭を実現させることにはほとんど関係のないことなのです。
今回ご紹介している渡辺さんち、資金が不足しているわけではなく、でもご自分たちでできるところは楽しみながら、ゆっくりと完成形をめざしています。「いいんだなあ、こういう感じ」。
Before 4
After 4
植木や草花、植栽はご夫婦でやっています。いくつかの質問にお答えして、アドバイスはさせていただきましたが、あとはおふたりで、コツコツと植えています。まだ途中ですけれど本格的には来春からになるのでしょう。
Before 5
After 5
そしてウッドデッキは実家のお父様が「俺に任せろ」と手を挙げられて、ご覧のとおり、すばらしい出来栄えになりました。
Before 6
After 6
スタイルとしては門扉がない『オープンスタイル』です。うちの仕事でいえば、新築のお宅の7~8割はこれで、とりあえず門扉と塀にかかるコストがいらなくなるので、その分他で楽しめるのと、構成的に自由度が増すので、短いアプローチであっても前庭的な仕立てが可能になります。コンクリートブロックとアルミフェンスで仕切るという従来の外構から、オープンで玄関先に前庭があると感じにです(全国的に見ても大きな流れとしてそういう傾向にあります。ですからブロックメーカーとアルミ製品のエクステリアメーカーは苦戦が続いているのです)。
プランでは道路から踏み入る場所にアーチがあったのですが、これもご夫婦で相談して今後考えようということになりました。入口左右の木がもう少し大きくなればアーチがなくてもいいような気もしますし、あったらあったで楽しさが増しますから・・・、まあいずれにしても先が楽しみです。
オープンスタイルで玄関アプローチに必要なものは表札、ポスト、インターホン。あとは靴が汚れずに歩ければそれでよし。シンプルに考えるとこんなところです。今回インターホンは玄関脇の建物についているので、ポストと表札があればOKです。
で、ポストは最近よく採用しているセキスイエクステリアのBOBI、色はご相談の結果赤になりました。機能的に使いやすくてデザイン性も高いポストです。それと色、私もこの赤が大好きで、その理由は、ナチュラル系の中間色の風景の中にこの原色の点景物が入ることで、風景全体がイキイキとしてくる、そういうイタリアデザイン的な効果が気に入っているからです。アンディ・ウォーホル曰く「アメリカで一番美しいもの、それはマクドナルドの赤。ソ連で一番美しいものは、マクドナルドの赤。中国で一番美しいものもマクドナルドの赤。世界で一番美しいもの、それはマクドナルドの赤です」まあ、天才のおっしゃることはよくわかりませんけど、私はこのBOBIの赤、美しいと思います。
次に表札。まくら木を立ててそこに取り付けました。
表札メーカー尚美の杉山さんが書くサイン文字を正方形の黒御影石にレイアウトしました。イメージはジャズのレコードジャケット。どうですかね、レコードジャケットみたいな雰囲気ありますかね。えっ、レコードジャケットって何かって??? まあいです、むかしそういうものがあったんです。
最初の方で少し触れましたが、奥様がお茶をやってらして、和室が茶室の仕立てになっています。その部屋の掃き出し窓の外に縦横格子の目かくしパネルを設置して、足下に奥様がお持ちだった小さい蹲を据えました。まだそれっきり手つかず状態ですけど、ここが茶庭風の坪庭になります。
そのお茶をやられている奥様、まだお子さんが小さい若い方すけが、さらに年齢よりも遥かに若く見えて、高校生みたいな感じなのです。で、アイドルみたいにかわいい。ご主人は当然ですけど、もう奥様がかわいくってしょうがない様子。その高校生アイドルみたいな奥様がお茶をたしなまれるというそのギャップをとてもすてきに感じました。
茶道、いつかは入っていきたい世界です。仕事柄、茶庭の知識は勉強しましたが本格的なお手前は経験がなくて、でもお茶をやっている知り合いやお客様からうかがったその世界、興味が尽きないものがあります。
見た目高校生みたいな奥様の立ち居振る舞い、いつも絶えない笑顔のすてきさの芯に茶道があるというのが私の分析というか印象で、おそらく正解だと思います。
2階にアルミのバルコニー、1階にはウッドデッキ。どちらもご家族が過ごすための特等席です。
このウッドデッキは実家のおとうさんが作られました。施工図を頼まれたのでお渡しして、それをもとに1週間泊まり込んでの力作です。
出来栄えを見てちょっと胸が熱くなりました。丹念な仕上げで、おとうさんの思いがこもったウッドデッキ。
このフェンスのデザインはおとうさんのオリジナルで、風通しよく、目かくしの具合もちょうど良くて、「私もいつか子ども夫婦にこういうプレゼントをしたいなあ」と。
今まで何百と作ってきたウッドデッキを抜いて、このおとうさん作のデッキがダントツ1位です。ほんと、感動しました。
渡辺さんの家は丘陵地を開発した新しい分譲地です。若いのにこうして新築を建てることだけでも尊敬に値することです。自分がその年齢だった頃を思い出すとなおさら。それにも増して夫婦円満で笑顔が絶えない、とってもあったかいご家族で、妻共々、ご夫妻にリスペクト。うれしくありがたく、感謝の出会いでした。
いい風が吹く場所にすばらしい家族が集まってくる、そういう印象のこの住宅地が、やがて子どもたちのふるさとになっていく。それまであと30年。庭木も子どもたちも、そして夫婦も成長していくんですね、そして街も。
なんか、最初から感じています。ここはいい街になる。工事中に道行く近所のご家族も、みなさん優しい感じで、実はなかなかないんですよこの感じ。いい風が吹く場所にいい家族が集まる感じ。
世の中の全ての人が、全ての家族が幸せを望んでいるはずですから、あとはそのことをイメージする、できるだけ具体的に幸せをイメージするということの重要性が認識されれば、いたるところにこういうイイ感じの街が出現するんです。あと、いい風が吹くところに暮らすこと。そうすれば家族が家族をとか、子どもが犠牲になるような悲しい事件は起こらなくなります。そんなに難しいことじゃないんですよ、なぜなら私が幼い頃、昭和時代にはそういう社会が存在したんですから。時代的にいろいろと不条理なことはありましたけど、今のような事件はなかった、ほんとになかったですよね。たまに誘拐事件とか、3億円事件とか、せいぜいロス疑惑とか。イメージすることです。イメージするだけでこの街のような幸福な場所だらけになるのです。
「渡辺さん、ありがとうございました。思い出に残る仕事でした。ガーデニングのこととか何かあったらいつでも声かけてくださいね」